夕日とクラリネット



最近、舞美ちゃんは毎日バットを持って公園に行く。
バットって、もちろん野球のバットだ。
お兄さんの物らしい、古く汚れた木製のバット。
それをぶんぶん振り回して、何がしたいのかよくわからない。


「舞美ちゃん。今日も行くの?」

学校から帰った私は、自宅の門扉を開けようとして
ちょうど向かいの玄関から出てきた舞美ちゃんに声を掛けた。

「行ってくるー!愛理は?今帰り?」
「うん。6時から教室だけど」
「あー何だっけ、クラ…クラリネット」
「コルネット」

そう、それ、と言って舞美ちゃんはあははと笑った。
この会話、そっくりそのまま3度くらい繰り返してる気がする。
私の習い事に一切興味を持たないらしい幼なじみに、
少しだけ淋しさを込めて「覚えてよ」と返した。

「じゃ行ってくるねー」
ジャージ姿の舞美ちゃんは片手に持った例のバットを軽く振り上げ、
それを挨拶に背を向けて走って行く。
今日もやたらと張り切ってるけど、一体いつまで続くんだろう。

去って行く彼女を見詰めながら、私は素早く腕時計に目をやった。
教室に行くまでにはまだ時間がある。

「舞美ちゃん!」
「なにー?」
振り返って彼女は、よく通る声で答えた。

「私も行くー!」


公園について行くのは初めてじゃない。
この間も、舞美ちゃんがただ素振りを続ける姿をベンチに座って2時間も見てた。
『野球選手になりたいの?』
と尋ねてみたけれど、彼女ははにかんで俯き、
そういう訳じゃないんだけど、と呟いて笑った。

じゃぁどうして素振りなんてするんだろう。
クラスの男子に野球で負けたからリベンジとか?
いやいや、まさか。いくら舞美ちゃんだって、
野球で男子と勝負なんてそんな小学生みたいなこと。

余計な詮索をするのも嫌だから、
私はそれ以上聞かずに舞美ちゃんの素振りを見続けた。


そして今も、私はただ黙って舞美ちゃんの素振りを見続けてる。
私は普段わりとおしゃべりな方かもしれないけど、
舞美ちゃんとはこうやって話さずにも居られる。

長い付き合いだもん。
コルネットは、覚えてくれないけど。
私のこととても、よく分かってくれてるから。


突然、カランカラン、と木製のバットが乾いた音を立てた。
膝に手をついて舞美ちゃんははぁはぁと息を切らせてる。
「つかれたーー」
「すごい汗」
「ハァ、うん。やばい、タオル忘れちゃった」
「ハンカチならあるけど」
私は制服のポケットを探って、取り出したハンカチを彼女に渡す。
「ありがと…。愛理」
ベンチに戻ろうとしたところを呼び止められた気がして、
振り返ると舞美ちゃんは広げたハンカチで顔を覆って、

「あたし、好きな人出来たんだ」

薄い布に閉ざされた視界で空を仰ぐ舞美ちゃん。

「…うそー」
「野球部のエースで、すっごい野球上手くて、超期待の星!
 足はあたしの方が速いけど」

とか言って、と笑って舞美ちゃんは立ち上がった。
私のハンカチは零れた。
ひらひらと零れ落ちた。
舞美ちゃんの顔は真っ赤だ。
夕陽のせいじゃない。


「あ、ごめん!」
慌ててハンカチを拾う舞美ちゃん。
私はおかしくて思わず笑い出してしまった。
「なにー?なに笑ってんの?」
「だって、おかしいじゃん。意味わかんない!
 それで何で素振りに行き着くの?」
「ち、ちがうよ!野球やってみたいと思って、まずは基礎から…」

私と目を合わさずに、真っ赤になってハンカチをはたきながら、
舞美ちゃんは転がったバットに手を掛けた。

「してみたいじゃん、好きな人と同じこと。
 うちの学校は女子は野球部入れないけどさ」

だからって、こんな所で一人で、素振りして。
でも、バットを持って夕日に照らされる舞美ちゃんは、何かカッコいい。







「愛理だから言うんだよ」
よく通る声でそう言った。

スポーツばっかりしてきた舞美ちゃんに、初めて好きな人が出来た。
高校生にもなって、初めて。
変なの。舞美ちゃん、絶対変だよ。
私の気持ちにも、気付いてくれたっていいのに。

こんなに一緒に居るのに、それだけは分かってくれないね。


私は残念ながら音楽教室の時間が迫っていて、
公園を出なくちゃいけなかった。
また明日も?と聞くと、うんやるよ、と舞美ちゃんは笑った。
汚れたハンカチを受け取って、私は手を振った。
舞美ちゃんはバットを振った。

「頑張ってねー!」
「愛理もー!何だっけ…、クラリネット!」

「コルネットー!」

そう、それー、と言って舞美ちゃんは笑った。
この会話、そっくりそのまま4度くらい繰り返してる気がする。
でも、習い事なんて覚えてもらわなくていっか。
溜息を吐こうとして、思わず笑ってしまった。
鈍感な舞美ちゃんが好き。

好きな人と同じことしてみたい、だって。
「あたしも素振りしてみよっかなー」
なんて独り言で誤魔化して、汚れたハンカチで涙を拭った。






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