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   卒業したら、キスしよう





5月がやってくる。
モーニング娘。で居られるのも、あと少しなんだ。
あたしは卒業、…梨華ちゃんは、二年になるのか。
5月の6日と7日の間を、指でなぞる。ツンと指先で弾くと、
小さなカレンダーは音も無く倒れた。


…あの頃。



『卒業したら、キスしよう』



そう言って梨華ちゃんは、娘。を去って行った。


 ◇ ◇ ◇


「来年の春に、石川が卒業する」
飯田さんが卒業すると、そう告げられたすぐ後に、
あたしはその事実を突き付けられた。
それだけの話で、言葉にすれば本当にそれだけで。
それまでの四年間とか、残りの一年とか、卒業してからの…何だか色々を、
考えてはいけないような気がした。
梨華ちゃんが、卒業。
あたしの頭は一瞬で考える事を放棄し、その後はただ糞真面目に、二人の卒業に関する事項に耳を傾けていた。


話が終わり部屋を出ると、メンバー達が思い思いの表情を見せる。
淋しさとか、憂いや焦燥。
卒業なんてもう年中行事みたいなもんだから、
大したことではあるけど大したことじゃない。
娘。という枠を出て仕事をする。それを卒業と呼び、最後の時には「おめでとう」と言う。
それが決まり。しきたり、みたいな。
「卒業」を自分の中で受け止め整理する術を、それなりの感傷に浸る余裕を、皆もう持ってる。
あたしだってそうなんだけど、その筈なんだけど。

どうして、何も出て来ないんだろう。
言葉も感情も、事実を整理してくれる筈の理性も、
一切がどこかへ行ってしまったような感じ。
「卒業」という言葉だけが、ただ頭の隅でちらつく感じ。

ふと梨華ちゃんと目が合った。
…一瞬。
お互いさりげなく逸らすのが、随分上手くなった。



「よっちゃーん」
あいぼんが笑いながら走ってきて、座っているあたしの膝上にすとんと収まる。
可愛いなあ。
昔も今も、あいぼんは子供で。そんでもって少しだけ、大人であって。
あと数ヶ月して、夏になればこの子もののも卒業だ。
「よっちゃんあっちいこ。」
立ち上がって手を引かれる。
そう言って時々、広くはないけれどそれ程狭くもないレッスン室の中を、あちこち連れ回される。
めんどくさいけど、少し嬉しい。
いつもひとりでぼーっとしてるのは、気が楽だけど淋しい時だってある。
そして今日のあたしは特別、淋しく見えたかもしれない。
あいぼんは分かってしまうんだろう。自分が淋しがりだからかな。

手を引くあいぼんの背中が、あたしに問い掛けているように見える。

『よっちゃん、平気?』

優しくしてくれた飯田さんに、同期の梨華ちゃんの卒業。
…何だろうな、よく分かんない。
今は、何も考えられないよ。
心の中でそう答えた。


その日は普段通りレッスンをこなして、家に帰り一日を終えた。
いつも通り、普通の一日。
一つだけ普段と少し違ったのは、日記を開いてもちっともペンが進まなかったこと。



思えば、初めての卒業というのは市井さんで、
あの時のあたしはまだ何も分かってなかったし、市井さんと過ごした時間なんてのも本当に僅かなものだった。
中澤さんの時も、あたしはまだ、卒業するのかくらいの感覚で…
ごっちん。ごっちんの時は、悲しかった。淋しかった。
淋し過ぎて、憤りに近いものを感じたのは覚えてる。
あの時で初めて、何で?って、卒業って何、って思ったのかもしれない。

でも、そんなもんだ。卒業なんて。
淋しさと不安が渦巻くだけ。少し、泣くくらいで。
でも梨華ちゃんは、

梨華ちゃんは…。




ハロモニの収録。騒がしいスタジオの中で、台本を捲る。

あ、今日梨華ちゃんとの絡みあんだっけ。

何となく鬱…とか、普段なら思ったりするんだけど。
今日は特別鬱だ。
出来ることなら逃げ出したい。
でも、あと数十分で衣装を替えて一徹のメイクをしてカメラの前に立たなきゃいけないんだ。
セリフの確認は後にしよう。そう思って台本を置いた。

後ろから梨華ちゃんの声が聞こえる。
あの特徴ある声、少しでも近くに居れば嫌でもわかってしまう。
ああ、こっちに来る。


「ね、よっちゃん」

いつからよっすぃ~とかひーちゃんって、言われなくなったんだろ。
皆と同じ『よっちゃん』と呼ばれる度に、
もうあなたの事は何とも思ってないの、って言われてるような気になる。
まあ実際にはそんな、大した意味は無いんだろうけど…、無いといいんだけど。
だってあたしは、梨華ちゃん、と素直に呼ぶ事が出来なくなってる。

「なに?」
「ねぇ、ここのとこさあ…」
「あーなに、ちょっと待って」
置いた台本をまた手に取り、梨華ちゃんが示したページを探そうと急いで捲る。
「広場でのシーンなんだけど」
「えーと、あった、うん」
「ここのこの一徹のセリフで、トメ子がぁ…」
台本を読みながら一生懸命問い掛けてくる梨華ちゃん。

ああ、そうだな例えば、今だって。
昔なら一つの台本を、顔を寄せ合って見たんだ。
数センチって距離で笑い合ったりして…、すぐ傍に梨華ちゃんの笑顔があって。

梨華ちゃんと話すのは落ち着かない。
もっとこの人の声が聞きたくて、笑顔が見たくて、
もっと、って、梨華ちゃんが欲しくなる。

そんな自分に蓋をする。

蓋を閉める音が、いつからか梨華ちゃんには聞こえてたみたい。

「…そっか。わかった!ありがと」
一通り確認が終わると、梨華ちゃんはすっとその場を離れて行った。
その後ろ姿を見つめながら、
あぁあたしってホントに、梨華ちゃんの背中ばっかり見てる。そう思った。
ステージでも、楽屋でも、どんな時でも。
踊ってる背中や、話してる背中や、時にはじっと立つその後ろ姿を。

梨華ちゃんの背中は、女らしい曲線が綺麗で、黒い肌が何だか艶かしい。
あたしの背中なんてのはきっと、無駄に骨が出てて、猫背で、色気が無いんだろうな。

梨華ちゃんの背中は、センターを張る背中なんだ。

指で窓を作って、その中に閉じ込めてみる。
本当に、こんな風に彼女をあたしのモノにできたら。

その背中に近付きたい、
触れたい、

いっそ壊したい。


窓を閉じて拳を握った。

残ったのは、どうしようもないほどの虚無感。
圧倒的な、喪失感。

昨日卒業を聞いた時から必死で身を隠していたあたしの本音は、
たった一日であっさりと正体を現してしまい、あたしの心を支配する。

こうしてあたしはいつだって、梨華ちゃんが絶対的に特別な存在だと思い知らされるんだ。


─怖い。

アヤカとまいちんに会いたい、
二人に会えば、あたしはあたしで居られる。

一人の女の子に、気が狂いそうな程固執してしまうあたしじゃなくて。
もっときっと普通の、ただの吉澤ひとみで居られるんだ。


 ◇ ◇ ◇


梨華ちゃんという存在を意識し始めたのは、娘。に入ってすぐだった。

あまりにも女の子らしい彼女を見て、「違う人種だ」とハッキリと悟った。
学校だったら全然喋らないタイプだな。
普通同じクラスとかだったらそれなりに皆仲良くなるものだけど、
中でも特にあの子とはあんまり話した事無いな、てタイプ。

合わないんだよなとは思ってたけど、
合わないってゆーより、正反対?
言葉遣いとか仕草とか、声とか、体型とか。
これが「女の子」なんだって気付かされたら、妙に意識するようになってしまった。

あたしが女らしくないってか男っぽいのは、意識してやってるとこも大きいけど、
やっぱりもともと女の子な要素が少ないんだと思うわけで。
だから梨華ちゃんにひどく惹かれたんだ。

ほんとは、女の子なんて大嫌いだった。
くだらない喧嘩に時間を費やして、
常に誰かと女であることを競って、
男に寄り掛かって生きる。
くだらない。そう思ってた。
だから男に憧れた。
『見えなくなるほど遠くにボールを投げれる強い肩
 うらやましくて男の子になりたかった』
そういう歌があったっけ。
そう、まさにアレ。

メンバーに冗談で「よっちゃんは男」なんて言われても、嬉しいぐらいだった。
私はあんた達とは違うって、思ってたバカなあたし。

梨華ちゃんなんて、大嫌いなタイプだった筈なのに。
彼女はあたしに意識させた。女であることの魅力を。
女なら当り前にできることを、出来なかったあたし。


本当は怖いだけだ。
強がることでしか身を守る方法が無かったんだ。
女らしい言葉遣いをすれば舐められる。
か弱い素振りを見せれば突け込まれる。
女らしく着飾ればいやらしい目で見られる。
─そういうのが、堪らなく怖いだけなんだ。


 ◇ ◇ ◇


「おはよ」
「…おはよう」
朝仕様の、テンション低い梨華ちゃんに挨拶する。
挨拶だけはきちんとする。
あまり話さなくなってからも、それだけは普通にしてきた。
それは礼儀として。強がりとして。誤魔化しでもあって。

きっとお互いに存在を確かめてる。
今日も居るよ、と。
今日も居るのかよ、と。
今日も、居てほしい──て。多分ね。


メンバーへの発表があってから一週間、卒業については、まだ一度も話してない。
口にはしない。する必要も無い。
言ったところでお互い、なにか気の利いた台詞を交わせるわけでもないし。
あくまで普通の話しかしないけれど、あたしの胸の苦しみを、梨華ちゃんが察しているのがわかった。
優しい目であたしを見つめなだめるような口調で話す。
いやだ。嬉しいけど、そんなのはいやなんだ。
落ち込んでるあたしを見ないでほしい。
あなたを失うことに絶望を感じるあたしを。


それからも暫くは、梨華ちゃんの態度にあたしは益々強がっていた。
顔を合わせれば悟られてしまうからあまり関わりたくもなかった。

けどそんな強がりも1ヶ月ぐらいが限界で、やっぱり少しでも多く傍にいたいと思った。
残っている時間を共有したかった。
卒業と聞いてノコノコと傍へ戻って来たあたしを、
梨華ちゃんは受け容れてくれた。
嬉しそうに笑っていた。

ああ、あたしってバカだなぁ。
同期の有難み。こういう時こそ、そういうものを与えてあげなきゃいけなかったんじゃないの?
自分勝手で嫌になる。日記だけに、そう懺悔しておいた。

ノートを閉じベッドに寝転がると、携帯の着信音が鳴り響いた。
梨華ちゃんだ。
メンバーから電話なんて珍しい。
まさか昼間の愚痴の続きじゃないだろうななんて、
ひとり眉を顰め通話ボタンを押す。

「もしもし」
「あ、よっちゃん?寝てた?」
「や。なに?どしたの」
「んー、…特に用は無いんだけど。なんとなく」
「ハァ?珍しいね」
梨華ちゃんが用事も無しに電話を掛けてくるなんて、本当に稀だ。
用事があったって連絡を面倒がる梨華ちゃんが。

「なんかさぁ…」
少し躊躇いがちに、梨華ちゃんは言葉を切った。
ほんの数秒の沈黙が訪れる。あたしは無駄に緊張する。
どうしたのと返そうか、黙って続きを待とうかと考えていると言葉は放たれた。
「よっちゃんの声、聞きたいなって」

がつん、と心に響いた。
照れ隠しに笑うことしか出来ない。
あたしはこういう時に、素直に喜びを表す方法さえ知らないらしい。
内心嬉しくて嬉しくてしょうがないのに。
あたしの声が聞きたいって言うなら、何時間だって話してやりたい。
そんな風に思うくらいなのに。

あたしの照れ隠しに梨華ちゃんは、なによ笑って、なんて怒ってみせた。
うぜぇ、と返す。また怒られる。
不自然ながらに、自然を装う。

それからまた何でもないような話をして、数十分ほどで電話を切った。
それだけで、淋しくて心が折れそうになった。


卒業なんてしてほしくない。
ずっとモーニング娘。に、
あたしの傍に、居てくれたらいいのに。



 ◇ ◇ ◇


そうして季節は夏になり、ののとあいぼんが卒業する日が来た。

ステージの二人を袖から見つめながら、
あたしはとても自然に、梨華ちゃんに寄り添った。
とても自然に手を繋いだ。

─もう、ふたりだけだね。
─これからはふたりきりだね。

たぶんそんな感じのことを、手と手で会話する。
あたしは意外に落ち着いた心持ちで二人の姿を見ることが出来てる。
梨華ちゃんは物凄い勢いで、泣きじゃくってるけど。
二人が行ってしまって、梨華ちゃんも行っちゃって、そしていつかあたしも。
それでもずっと『家族』だよね。
四人の気持ちが、離れたりはしないよね。
問い掛けるように梨華ちゃんの手を握る力を強めた。

信じさせて欲しい、疑り深いあたしに。
安心させて欲しい、強がってばかりのあたしを。

応えるように梨華ちゃんの手にも力がこもる。
あぁ、この手もすぐに、居なくなってしまうんだ──
それでもあと、もう少しだけ。
もう少しだけあたしを支えて。



卒業までの日々は、驚くほど緩やかに流れていった。
現実感の無いままに、それでも突き付けられる現実を理性で処理し、
飯田さんを見送って、あたしは漠然と忙しい日々を過ごしていた。
漠然とした忙しさの中に、飛び込んできた矢口さんの脱退。
その日を境にあたしの周囲は目まぐるしく動き回り、そしてあたしも、
その忙しさに呑まれるしかなかった。
苛々と不安とばかりが頭を巡って、やたら胃痛が続く日々。

それでも、梨華ちゃんのことを考えずに居るには、打ってつけの環境ではあった。
同期の淋しさより、リーダーとしての責任があたしにはある。
そんなのは虚しくて淋しくてどうしようもなかったけど、
それならば敢えて、あたしに出来ることがあるかもしれないから。

あの武道館で卒業式なんて、笑っちゃうけど、少し羨ましいななんて思った。


「よっちゃんあたし行かない」

卒業コンサート当日。
最終公演直前。
みんな袖に行ったっていうのに、今日の主役がそんな事言って。
なに言ってんのと言おうとして、誰かが「一緒に行こ、って」とあたしの台詞をつくってくれた。

「…一人じゃ、決めれないよ」
「行かなきゃ駄目?」

行かなきゃ駄目?なんて。
本当は、あたしなんかよりずっと心の準備は出来てるだろうに。
何だかまるであたしの心を、見透かしているような。
言いたいこと言われてしまったような。


でも、行かなきゃ駄目だよ。
あたしも梨華ちゃんも。今はきっと立派なアイドルで。
もう、あの頃みたいに、訳を掴めず死んでたあたしではなくて、
待ってる人がたくさん居て、
あたしがどんなにあなたの卒業が悲しくても、
魅せなければいけないパフォーマンスを。


「さぁ、行こう」

なんてあの曲のノリで誤魔化して、
大切な手を取った。
出来ることならもう二度と離したくないほど、
大切な大切な、小さな手を。

もう何も考えない。
ただ全力で、歌おう。踊ろう。
あたしがあたしに満足しよう。



アンコール前には、目の醒めるほどのピンク、ピンク、ピンク。
梨華ちゃんの大好きな色に包まれてあたし達は…


あたしは、


梨華ちゃんは?





公演後はいつも、感傷に浸る間も無く慌しい。
衣装を脱ぎ汗を流し諸々の片付けや話なんかを終える頃には、殆どのメンバーは会場を出ていた。
あたしはまだやらなければならないことが少し残っていて、
と言ってもそれはわざと仕事をつくっているようにも思えたけれど、
忙しいふりをして梨華ちゃんと話したくなかった。

話したくてしょうがない気持ちと、決して言葉を交わしたくないような気持ち。
きっと思いを伝えきれなくて苛々してしまうから。

なんて思っていたのに、珍しく楽屋で二人きりになってしまった。
さっきまで何やかやと忙しそうにしていたガキさん達もどこかへ行ってしまい、
まだ少しだけ騒がしい廊下の音が微かに聞こえる、
酷く静かな部屋で梨華ちゃんとあたし。


「卒業おめでとー」
なるべく軽い調子で、世間話のように言葉を振る。
「…ありがと」
梨華ちゃんは、いつものあたし用の笑顔でふ、と笑って振り向いた。

「あーあ、あたしもいつか卒業すんだよなー」
「でも、リーダーだからね。暫くは無いよね」
「そーだね」

あたしの卒業、か。
確かに暫くは無いだろうな。
リーダーなんてそう簡単に引き継げるもんじゃないから、
短くともあと一年はあたしがあの子達を引っ張ってってやらなきゃいけない。
娘。自体が何年後まで残ってるかわからないけど、
それでもあたしがモーニング娘。でいる時間は、まだ暫く続くんだ。

梨華ちゃんと離れる時間もまたそう。

別に、サルがあるし。
会おうと思えばいつだって。

理屈で言えばそうだけど、それでも今さら、今さらなんだよね。
ちょっとご飯行こうよとか、簡単に言えたならきっともっと。


梨華ちゃん、あたし達、本当に離れてしまうんだね。


でも。
たった数十分前のこと、
思い出の武道館のステージを端から端まで駆け抜けて手を振った、
キラキラの空間がまだ頭の中で消えやしない。
眩しくて切なくて、感覚が千切れそうになった。

あのときあの瞬間だけの輝きに、あたしは「これから」を懸けられた。


「ねぇよっちゃん」
「うん?」
またあの感じだ。
傷ついたあたしをなだめるような、わざと落ち着かせた口調で。

「これからお互い忙しいね?」
「そうだね。リーダー同士ね」
「うん。…きっと、長いよね。落ち着けるまで」
「あたしはあいつら相手に落ち着ける気ーしないよ」
はは、とまたあたしは強がった。
みんなのことは信用してるけど、不安はとても重苦しくて。
投げ出すことの出来ないたくさんの事柄があたしを攻め立てる。

「ふふ、…ね。だからさぁ、よっちゃん」
「ん…」
「いつかよっちゃんが卒業ってなったら」
「…うん?」

にやりと梨華ちゃんが笑った。
こういう笑い方をする時は、またろくでもないことを考えてるに違いないんだ。
それで何度からかわれたか分からない。
ばかみたいに振り回されるのはもうごめんだ、なんて思っても、
それを望んでるあたしが居るのが非常に困る。


「…卒業したら…」
「…うん」



「…卒業したら、キスしよう」


つん、と空気が刺さるみたいな気がした。
梨華ちゃんはまっすぐにあたしの目を見つめてそれから、
にやりと笑った口角がふにゃりと下がって、突然に俯いて肩を震わせる。

「……それまで、ね。…頑張るから」

そう言って俯いたきり顔を上げないから、
泣いてるんだって分かってしまう。
こういうとこずるいんだ。
感情をまっすぐに突きつけて、さあどうすると答えを急かす。
でも、こういうとこが嫌いじゃない。

ライブや収録で、皆の前で流した涙とは違う。
これはあたしの為で、あたしのもので、梨華ちゃんの気持ち。
今すぐにでも彼女を抱き締めたいと思った。
それでもまだここには、あたし達の間には、
いつからか作った壁があって。

それを壊す為に、
変な意地や感情が邪魔をしないように。
誰にも邪魔されずに、素直に寄り添う為に。


「…あたしも、頑張るから」


うん、と小さく彼女は頷いた。
いつになるかわかんないけど、と付け足すと、
また小さくうんと頷いた。
手を繋ぎたかったけど、それもいつかに取っておこう、と思った。




 ◇ ◇ ◇



「よっちゃん、卒業おめでとう」

急に真面目くさってそう言う梨華ちゃんに、
あたしは一瞥をくれてやるとすぐに目の前の台本に視線を戻した。
「なに言ってんの今さら」
「えー?だってさぁ?」

「だって、なに」
先週、あたしはモーニング娘。を卒業した。
感慨に浸れる間も無くあたしは舞台、舞台の毎日で、
今も梨華ちゃんの部屋で練習している。
これというのも同期のクソガキのせいなわけだけれど、
最早大事なときに忙しいのがあたしの常のような気がしていて、
これはこれでいい、と思う。

苛々や不安や悲しみや焦燥を、いつだって心の奥に隠してきた。
認めなければいいだけだから。それは別に辛くはない。
支えてくれる人が、見守ってくれる人がたくさん居ることをもうあたしは知ってる。
誰かを大切に思う気持ちは、何も裏切らない。
あの一面の白にそう教えられた気がする。

離れてしまった4期の絆も、見えなくたって繋がってる。

─あたし、強くなったなぁ。


「だってさぁ」
「え?あぁなに?」

まだ真剣な顔を作ってる梨華ちゃんに向き直す。
何か言い難そうに口を結ぶ梨華ちゃん。

「だって、なに?」
あたしが首を傾げると梨華ちゃんは、
怪しげな視線を宙に浮かせてそれから下を向き、
今度はねっとりと絡みつくような目線であたしを捉えた。

「…何だよー」
「なによ」
「いやいやそっちだし。何?」

小さなやりとりをしている間に梨華ちゃんの顔が近付いてくる。

「り…か、ちゃん?」
「なあに?」
「…どしたの」

何だかどんどん近付いてくる顔にあたしは酷く動揺してしまって、
遠ざかろうと上体を引き両腕を後ろに付くと、事実上腕の自由が利かなくなった。

「約束、したでしょ?」
「やくそく…」

「卒業したら─」


──卒業したら?


あたしは記憶の奥の、あの甘ったるい響きを思い出した。



『卒業したら、キスしよう』



覚えてた。

梨華ちゃん覚えてたんだ。

絶対に忘れてると思ったのに。
何て女だろう。約束を忘れないのが女の怖い所だ。
でも、そんな所が嫌いじゃない。

ちらちらとまいちんやアヤカや家族や、色んな人の顔が浮かんでは消えていったけど、
もう何も考える余裕は無いくらい梨華ちゃんの顔はすぐそこにあって。


何かもう、どうでもいいや。
どうでもいいや、とかって思ってしまう。

ばかみたいに悩むのはまたあとでいい。あとでじっくり考えればいい。
手に入れたいものを拒まなくていい。

目の前の顔が見えなくなるのを惜しみながら、あたしは静かに目を閉じた。







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