追いかけたみたいになっちゃったねって、憂佳は笑った。
そんな風に誰も思わないよって思ったけど言葉に詰まった。そう言ってくれたのが嬉しくて、否定しなければそれがほんとみたいになる気がして黙っておいた。あたしだって憂佳にはそんな風に辞めてほしくなんてないけど、もし憂佳の中にそういう気持ちが少しでもあったら。それはやっぱり正直、嬉しい、のかもしんない。

何にも言わないあたしを憂佳がじっと見据える。視線がくすぐったい。ていうか痛い。落ち着かなくて手元の携帯のストラップをがちゃがちゃいじってみる。プラスチックのかけらと机の上にまばらに拡がる水滴が触れあう。早く料理が来ないかなと思う。お腹すいた。早く食べたい。満たしたい。
時刻は午後8時。外は真っ暗。お店には入ったばかり。
早く帰りたいな、なんて思った。帰りたくないけど、憂佳とならいつまででも一緒にいたいけど、やっぱり落ち着かなくて。残された時間を、限りある時間を、あたしなんかと過ごしてていいのかな。

「ていうかさ、顔合わせるのほんっと久しぶりだよね」
「だねー」
「もう何年も紗季ちゃんの顔見てなかったみたいな、」
「あっはは」
「…感じ、だよ」
「うん」

あたしも憂佳の顔を見るのはすごく久しぶりで、髪伸びたなとか、また少し大人っぽくなったかもしんないとかぼんやり考える。憂佳はまたじっとあたしの顔を見る。あんま見ないでほしい。見てないときはあんなに見て欲しいと思うのに、思ってたのに、今のあたしは、あの頃とは違うし、

「紗季ちゃん髪伸びたね」
「…憂佳も」
「何かちょっと大人っぽくなった」
「なってないよ」
「なったよー」
中学生に見えないね、なんて言って憂佳はふわっと笑った。あたしの好きな顔。久しぶりに見る。本当に久しぶりに。何か泣きそうになる。あたしが思ったのと同じことばっかり言うから、離れてからお互いに違う時間が流れても、変わることなんてそんなものなのかななんて思ってしまう。憂佳はあたしが抜けてからどんな時間を過ごしたんだろう。何でこんなときにあたしに会いに来たんだろう。あたしに会ってどう思ったんだろう。色んなことがぐるぐると廻るけど、何もかもあたしに聞く権利なんて無いし、聞くのは少し怖い。

ぎこちない返事しか返せないあたしに対して、今日の憂佳はずいぶんお喋りだった。夜のテンションだからかな。たぶんそうじゃない。憂佳は憂佳なりに何かの決心をしてあたしに会いに来たんだろうけど、でもあたしには返せる言葉なんて無くて、なんで呑気にこんなとこまで来ちゃったのかなとか、今更後悔なんてして。やっと来た料理も味気無くて、やたらと食器の鳴る音が耳を衝いて、憂佳の笑顔が優しくて、辛くなる。
暖房が、温かくて、淀んでて、あついくらいで、憂佳がそばにいて、辛くなる。
俯いてる視界の上の方で、箸を置いた憂佳の両手がテーブルの端にきれいに添えられた。

「ごめんね」

「…何が?」
「やっぱ、会いたくなかったかな。」
「そんなこと…」

そんなこと、あるわけない。あるわけないじゃん。会いたかったよ。会いたくてたまんなかったよ。会いたいなんて思えなかったけど、ずっとずっと憂佳がいた。
ほんの小さい頃からずっとそこにあったものを全て失くして、淋しくて何度も泣いたけど、手に入れた日常は充分なものだった。毎日が順調。自分で決めたことだったし、色んな人に迷惑かけたし、不満は無かった。けどなぜか辞める前よりも避けなくちゃいけないものは多くて、心の奥のとこに押し込めるものが増えた。仕方ないってわかってる。それでも憂佳や花音や彩に、会いたかった。ときどき来るメールもなんか虚しくて、みんなの声とか顔とか空気とかに、触れたくて何かがちぎれそうだった。

憂佳はよくする困ったみたいな顔であたしを見る。違う、そうじゃないって、でも言葉に出来なくて、手を伸ばしたら柔らかい感触に包まれる。憂佳の手。さらさらしてて、冷たいのに温もりがあって、安心する。懐かしくて涙が出た。

「…今日さ、彩花ちゃんと花音には内緒で来たんだ」
「……ん」
「二人も紗季ちゃんに会いたいのに、ゆうか抜け駆けみたいじゃん?言えなくて」
「ふ、なにそれ」
「でもさ今度四人で会おうね」

やっぱり今日の憂佳はお喋りだ。あたしは返事の代わりにぎゅっと手を握る。憂佳が笑う。あたしもいい加減何か応えなくちゃいけないんだろうな。怖くても聞かなくちゃ。話し出そうと鼻をすすったら思ったより大きな音がしてふたりで笑った。

「で、今日は何?何しに来たん?」
「何か無いと会いに来ちゃだめ?」
「だめじゃないけど…、あるんでしょ、なんか」
「何かっていうか、紗季ちゃんに会いたかったから」
「嘘だね」
「嘘じゃないよ、嘘じゃないけど」
「けど、何?」

心臓がガンガンする。いざ聞き出すのはすごく怖い。憂佳の唇が閉じて、動かなくなる。繋がれた手がじれったそうに揺れる。憂佳は嘘つかない。つかないから怖くなる。憂佳はいつでも優しくて、嘘つかなくてもときどき何かを誤魔化すけど、誤魔化し方も優しくて、そういうのが好きだった。好きだから、いつでもまっすぐあたしの胸に刺さる。それが今日は怖いんだ。沈黙が続くと暖房の熱が気になってくる。熱い。上着脱ぎたいかも。繋いだ手に汗が滲んでくる。
やめるのはさ、 喧騒にまみれて憂佳の声が耳に入った。

「理由は電話で言った通りなんだけど」
「うん」
「でも、やっぱ、決めたのは紗季ちゃんのことあったからで」

ずん、と空気が、あたしの周りだけ重くなった。

「だからちゃんと会って報告したかったんだ」

身体が動かない。目を逸らせない。唇が乾いてしょうがないから噛み締めた。憂佳の視線はまっすぐこっちに向いてて逸れない。石みたいに固まったあたしの手を憂佳が更に強く握った。

あたしが。

あたしが辞めればいいと思ってた。そうしたら色んなことが上手くいくように思ってた。あたしだけダメで一番人気が無くて一人だけ年下で、いてもいなくてもそんなに変わんないと思ってた。だったらいない方がいいと思ってたのに。
あたしはまた取り返しのつかないことしちゃったんだ。
あたしが辞めてなかったら、新メンバーも入らなかったし憂佳も辞めなかったのかな。そんなのは思い上がりだと思ってた。でもこうして憂佳の口から聞かされるなんて。さっき憂佳に言われたことに、嬉しいかもなんてちょっと浮かれてたあたしはほんと馬鹿だ。どうしようもなく馬鹿だ。でももうどうにもできない重圧だけが、あたしに圧し掛かる。花音はもうあたしのことを妹なんて言ってくれないだろうし、彩はあたしをきっと許さない。止まってた筈の涙が溢れだして、あたしは憂佳の手を解いて顔を覆った。

「紗季ちゃん。」

真剣な口調のまま憂佳があたしの名前を呼んだ。答えようとしても涙のせいで嗚咽にしかならない。
紗季ちゃん。憂佳が、言い直すみたいに何度も呼ぶから、上ずりながらも何とか返事をする。

「紗季ちゃん、…辞めてから、何か見た?」
「…っ、な、にを…」
「スマイレージの。テレビでも、ネットでも、いいから何か見てる?」
「みてないよ。…見るわけないじゃん。憂佳は辞めてからも見んの?」
「見るよ。だって気になるじゃん。あたしのパート誰になったのかなとか、……歌われるの悔しいなとか」

悔しいよ。悔しいに決まってる。だから見るわけない。あたしよりずっと上手く歌えてたら、ずっとみんなが盛り上がってたら、悔しくて悔しくて死にたくなるよ。あたしがいなくてもちゃんとやってってるとこなんて見てどうなんの。あたしはどう思えばいいの。そこにあたしの居場所なんてもう無いのに。

「…見てよ。見たらわかるよ」

憂佳の口調が一瞬泣きそうになって、それから怒ったみたいになって言い放った。

「やっぱり紗季ちゃんじゃないとだめだよ」

何がって、口も挟めないくらい強くて。

「だめなの。違うんだよ。そこにいないのわかってても、紗季ちゃんじゃないとおかしいの。何であたし紗季ちゃんのとこ歌ってるんだろって思って。みんながうるさいのに何で紗季ちゃんの声しないんだろって。思っても言えるわけなくて。でも紗季ちゃん、紗季ちゃんじゃないと…っ」

あ、憂佳、泣いてる。
泣き顔見るのはあたしの最後のステージ以来だな、なんて思う。当たり前だけど。それから泣くことってあったのかな。こんな風に、あたしがいないことに泣いてくれたりしたのかなとか、考える。考えたってわかんないけど、今この瞬間だけで充分だけど。

「誰もかわりになんてなれないってわかってたのに、誰もかわれないんだってがっかりしちゃうんだよ。新しいスマイレージで頑張ればいいんだって、思おうとしたけど…あたしには、そういう問題じゃなかったみたい」
「…憂佳。それ嬉しいけど、重い」
「ばかっ」
「うん。あたしばかだからさあ」
「ほんとだよ、もー」

しょうもないことしか返せないあたしを、憂佳は笑いながら頭撫でてくれる。ぐしゃぐしゃにされて、懐かしくて嬉しくなった。

「戻ってきてほしいとかそういうんじゃないよ。紗季ちゃんの人生応援するって決めたし。…でもちょっとだけわかってほしかったから。紗季ちゃんいなくなったのこんなにすごいことなんだよって」

頭を撫でる憂佳の手も声も優しくて、全然涙が止まんない。憂佳はどうしていつもこんなに優しいのかな。なんであたしのことそんな風に思ってくれるんだろ。わざわざ会いに来てそんなこと言って頭撫でてくれて、あたしは、あたしは何も返せたこと無いのに。

「…わかった。見てみる。CDも買う」
うん、て憂佳は笑う。でもちょっと悲しそうだった。憂佳は憂佳で色んな思いがあって複雑なんだろうから、あたしにはわかる筈もないんだけど、憂佳が悲しいとあたしも悲しくなる。それが顔に出たのか、憂佳はすぐに笑って、CDなら持って来た、って鞄から出して渡してくれた。初めて見るジャケ写。当たり前にあたしのいないスマイレージ。変な感じ。憂佳の言ってくれたことがもう何となくわかった気がする。中身聴いたらどう思うんだろ。ほんとにわかるかな。わかんなくてただ辛くなるかもしれない。それでも憂佳が言ってくれたこと、忘れないでおきたい。絶対に。

「次は、憂佳の最後のやつは買うね」
「ありがと」
「その次のは…一緒に買いに行こ」
「あ、そーだね」

二人して涙拭きながら鼻すすりながらで、顔見合わせたらおかしくて笑った。料理はもう冷めきって残念な感じになってて、流石に目立ってたのか感じる視線に居た堪れなくなって、残念なご飯をさっさと胃袋に押し込んでお店を出た。外は信じられないくらい寒くて、いつもみたいに腕を組んでも憂佳は何も言わなかった。調子に乗ってもっとくっついてみたけど、憂佳はいつも通りだった。普通に歩いたら駅はすぐなのに、憂佳は何でか遠回りをした。

「ゆうかぁ」
「なに?」
「ぎゅってしてー」

はいはいって、憂佳は笑って、立ち止まって両手を広げる。珍しく大胆なのがおかしくて笑った。こんなこと街中で誰かがしたら、恥ずかしがるのは憂佳なのに。あたしは思いっきり笑いながら抱きついた。すぐにぎゅうって包まれる。あったかい。ほんとはあったかくないのに、憂佳体温低いのに、温もりがあるから。懐かしい眠くなる匂い。安心する。安心しすぎて、枯れたと思った涙がまた溢れてきた。

「次は絶対四人で会おうね」
「…無理だよ、仕事以外で会えたことないじゃん」
「だって次はもう仕事してるの二人だけだよ」
「憂佳は学校あんじゃん」
「紗季ちゃんだってあるでしょ」
「…花音も、彩も、ほんとは会いたくないかも」
「そんなわけないよ」
「わかんないじゃん」
「わかんないけど、そんなわけないよ」

憂佳に言われるとなぜかほんとみたいに思えて、あたしはわんわん泣いた。花音と彩に会いたい。でも、会いたいと思ってくれてるなら会えなくてもいい。邪魔したくないからずっと先でいい。こうして憂佳が来てくれたから、あたしも頑張れる気がする。
憂佳の腕の中はやたらと居心地良くて、ずっとこうしてほしいなんて思う。そんなのは無理だから噛みしめる。涙で顔はぐちゃぐちゃで、憂佳の上着を汚さないように横を向いた。濡れた顔にひやりと空気が触れる。街のネオンが滲んできれい。

「さーきちゃん、もういい?」
「やだ。もうちょっと」
「恥ずかしいよ。どっか入ろ?」
「いい。今離れたくないの」

こんな道端で大泣きして我儘言って、流石に呆れられてるかも。顔を上げて覗き込むと、憂佳は困ったみたいに笑う。いつも思うけど、白すぎて透き通ってて今にも消えちゃいそうだ。濡れてるように見える睫毛に触れたくて、でも両手も唇も届かないから、諦めて顎のあたりに頬を擦り寄せた。つめたくて気持ち良い。

「…帰りたくない」
「来年になったら、もっと会いに来るから」
「何で。学校行きなよ。勉強すんでしょ」
「うん。紗季ちゃんにも教えてあげる」
「やだぁ、勉強きらい」
「だめだよ。受験ぎりぎりだって言ってたじゃん」
「高校落ちたらどうしよう…」
「落ちたら怒るよ」
「何で憂佳が怒んの」
「心配だから」
「心配ならママが散々…」
「紗季ちゃんが好きだから」

好きだから。
きっと、あたしがずっと聞きたかった言葉。今さら言うなんてずるいよ。あの頃のあたしに言ってくれてたら、何か違ったかもしれないのに。何も変わらなかったかもしれないけど。
やっぱり、ずっと離してやんない。あたしは苦しくなるくらい憂佳を抱きしめた。うぅって小さく憂佳が唸ったけど、観念したみたいに細い腕があたしを強く抱きしめる。今なら、今日の憂佳はお喋りだから、あたしの欲しい言葉をもっとくれるかもなんて思った。でも、考えてみてもそんなに欲しい言葉なんて無くて、たぶんこうして優しく包んでくれてるだけでもう充分で、でもそれはずっと続くものじゃなくて、少し悲しくなった。悲しいけど、悔しいくらい憂佳の感触は幸せで、色んなものが溶けてく気がする。なぜか花音や彩の感触まで思い出されて、二人がとても愛しく感じる。腕の中の憂佳はもっと愛しい。いつになるかわからないけど、きっと次に四人で会うときは、あたしは──







戻 る