夏の終わりに





「いちばんぼーし、みーつけた」


薄暗い夜空にきらきらと光る星を指して、希美が言った。

「あいぼん、一番星だよ、急がなきゃ」
「あかん。このままやったら絶対二人に怒られる」

遠くの山の陰から少しだけ覗く夕日を背に、
亜依と希美は緩やかな坂道を早足で進む。

「だから寄り道しないで帰ろうって言ったのに!」
「何やねん、元はと言えばののが選ぶの遅かったからやで!」
「えー!?ゆっくり選んでいいって言ったくせに!!」
「ゆっくり過ぎんねん!!」
「あんだよー!!」


口喧嘩を始めた二人の間を、サァ、と夏の風が吹き抜ける。
草木が揺れてさらさらと音を立てる。
生温かく柔らかく肌を滑る風にも、
約束の一番星の隣に光り始めた二つ目の輝きにも、
気付かずに続ける子供の喧嘩。
夏の匂いが夜に滲んでいく。




「でも、変だと思わない?」

突然の梨華の言葉に、ひとみは読んでいた本を机に置き顔を上げた。

何のことだろう、と一瞬だけ考えてから、思い当たらないので聞き返そうと、
ひとみが口を開く前に梨華は話し始めた。
「だってね。あいぼんたらずっとふくれてたのよ。今日はもう外にも行く気にならないって。
 ひとみちゃんが寝てからも、ずうっとお茶碗のこと、言ってたの。
 それが急に上機嫌になって、歌いながら出掛けて行ったんだもん、やっぱり変よ。」

休みもせずそう言い切って、梨華はコップに口を付ける。
ああ、そういえば。
ひとみは、朝の食卓で亜依がお気に入りの茶碗を割ってしまったことを思い出した。
確かにあたしが昼寝するまで、ずっとうだうだ言ってたっけ。
目を覚ました時には亜依も希美も出掛けていたので、ひとみはすっかり忘れていた。
そうやって日がな一日、人の心配ばかりしていて疲れないんだろうかと梨華を見て思う。

「まあいいじゃん、機嫌直ったんならさ。
 しかし暑いなー。梨華ちゃん、ちょっと団扇取ってくれる?」
ひとみは机越しに向かい合う梨華の後ろにあるそれを指した。
梨華は団扇立てに並んだ四柄のうち二つを取って、一つをひとみに渡す。
「はい。それでね…」
話は終わらないようだ。ひとみは机の上の本にしおりを挟んで閉じた。

「出掛ける前に、ののが何か言ってたの。あいぼんに、こっそりね。
 きっとまた何か危ないことしようとしてるんだよ。
 私が部屋の前通ったら、急いで何か隠してたし…」
「う~ん、それは怪しいね」
「でしょ?二人とも無茶ばっかりするんだから。
 この間だってね、ひとみちゃんが本屋さんに行った時、
 街まであとついて行っちゃったんだって。
 危ないでしょ、尾行の真似事なんて…ひとみちゃんの歩くのだって速いのに。
 何事も無かったから良かったけど、怪我でもしたらと思うともう…。」
「まあまあ、だいじょぶだって。
 何だかんだで元気があっていいじゃん、あいつらは」
「ひとみちゃんたら、そればっかり」

梨華は大きく一つ、溜息を吐いた。
気楽な口調で話すひとみとは対照的に、毎度のことに真剣に頭を悩ませる梨華。
その様子を眺めながらひとみは、今何種類の蝉が鳴いているかを数えようと、心中では必死なのだった。



「やっぱりやめとけばよかったかなぁ」
「何言うてんねん、ののから言い出したくせに」
「だってやっぱり不安になってきたんだもん、怒られちゃうかも」

不安げに俯く希美とは対照的に、
亜依は意気揚々と、手足を大きく振りながら歩く。
時折眉の上に手を翳しては、樹々の合間から差し込む陽に目を細める。

「平気やって。ホラのの、行こ」

明るく言い切る亜依の表情に安心した希美は、差し出された手を取り足を速めた。



日も暮れかけた頃、夕飯の支度を始めた梨華は、
窓の外を見て帰らない二人を思い浮かべひとみに問い掛けた。
「ね、二人とも遅くない?」
畳に寝転がったままのひとみは、時計に目をやると少しだけ眉を顰め答える。
「…そうだね。ちょっと遅いかも」
「どうしよう、大丈夫かな。私ちょっと外、見てくるね…」
「あ、いいよ。あたし行くから」
ひとみは食事の支度中の梨華を気遣い、起き上がり玄関に向かった。
梨華の過剰な心配が面倒臭いということもあった。

家の前に立ち、丘になったその場所から辺りを見渡す。
いつも二人が遊んでいる森の方を見ても人影は無い。
大方川の方でふざけてるんだろう、そう思いひとみは玄関の引き戸を引き中へ戻った。



「やばい…、あいぼん、家ってこんなに遠かったっけ…」
「登りやからな…。もぉえんちゃう?遅くなっても。疲れたし休んでこ」
そう言って亜依は、草むらにひょっこりと生えた切り株に腰を下ろした。
「えー!?やだよ、りがぢゃん怒るじゃん」
「梨華ちゃんは怒ったってうるさいだけやん。
 『約束』までに帰ればたぶんよっちゃんが庇ってくれんで」

「でも…あ!!」
何か言い掛けた希美の言葉が途切れ亜依は顔を上げる。
「なんや」
希美の指す方を見ると、それは『約束』の一番星だった。

「いちばんぼーし、みーつけた!あいぼん、一番星だよ、急がなきゃ」
「あかん。このままやったら絶対二人に怒られる!」
亜依は慌てて立ち上がり、早足で歩き始めた。




「……遅い!!」
すっかり食事の用意が済んだ食卓に座り、
ひとみは苛立ちの混じった声で言った。

「ね、ひとみちゃん…落ち着いて」
今度は宥める側になった梨華が、ひとみの顔色を窺いながら両手で諌める仕草をする。
「梨華ちゃんは黙ってて。大体ねぇ、あいつら舐めてんだよ。
 あたしがいつも甘い顔してやってるからって、
 まったくこんな時間までなにバカやってんだか…」
「な、黙っててってなによぉ!
 さっきまでは私が何言っても大丈夫って言って聞かなかったくせに!」
「だって梨華ちゃんうざいんだもん」
「な…う、うざいって、あ、あのねぇ!」
「なんだよ!」
ガタガタと二人椅子から立ち上がり、怒り顔を突き合わせる。
少しの静寂の後、ちりん、と涼しげな風鈴の音を合図に、ひとみが溜息を洩らした。

「…ごめん。うちらが言い合ってる場合じゃないね」
「…そうだね」
ふう、と梨華も溜息を吐くと、再び椅子に腰を下ろす。
ひとみは立ったまま窓の外に目をやり、低く呟く。
「どうしたんだろなぁ、あいつら」
「もしかしたら本当に何かあったのかも…」
「うーん…、あたし、ちょっともっかい見てくるよ」
「私も!」


玄関の薄暗い電気を点し、ひとみは靴棚の上の懐中電灯を手に取った。
二人でサンダルを突っ掛け、虫が入らないよう戸を締める。
引き戸のガラス部から微かに漏れる明かりと懐中電灯以外に、光るのは月だけだ。
ひとみは暗闇に目を凝らす。梨華は怖がってひとみの服の端を掴みながら、虫と格闘している。

「…ん?」
「嫌!なに?何か居る?」
「違うよ、ほらあれ多分…」

「あいつらだ」


「…ょっちゃああん!」
「りがぢゃぁーん!」
「「怖かったー!!」」

「やだ、二人とも!おかえり!」
暗闇の恐怖からか涙目で掛けてきた子供達を、梨華が両手で抱き締める。
「「うわああん!」」
「もう…二人とも、大丈夫だった?」
梨華は胸の中で泣き出した二人に優しく尋ねる。

「あのね、街まで降りてってね、そしたら、」
「帰りが思ってたよりめっちゃ時間かかってん!」
「暗くなってきたら何か超怖くて、」
「めっちゃ虫とか鳥とか飛んできてん!」
ぐしゃぐしゃに泣く二人の頭を撫で、梨華は屈んで目線を合わせる。
「勝手に街に降りちゃうなんて…もう。心配したんだから、ね、ひとみちゃ…」

「お前らああああ!このバカ共!!危ねーことすんなって言ったろ!」

びりびりと空気が痺れるような大声で、ひとみが怒鳴った。
「ひ、ひとみちゃ…」
「この間さんざ言ったろ!勝手に街に降りない!必ずあたしか梨華ちゃんに言うこと!
 んで一番星が出る頃には帰る!約束は守れ!!」
「「…ごめんなさい…」」
「何でこんな遅くなった!暗くなってから戻り始めたとしても、遅過ぎんだろ」
「「…喧嘩してた」」
「バカか!そんなん帰ってからやれ!」
「「…すいません…」」

ふーー、と、長い溜息を一つ吐くと、ひとみも二人に近付き腰を屈めた。
「…あのね、二人が子供だから約束を作ったんじゃない。
 四人で決めた事でしょう?」
「「…うん」」
「約束ってのはさ、思いやりなんだよ。
 約束を守って梨華ちゃんに心配掛けない。わかった?」
「「ぐすっ…はぁい…」」

鼻をすすりながら返事する二人を見て、ひとみは安心したように微笑み頭を撫でる。
横で見ていた梨華も、優しく微笑むと立ち上がって手を叩いた。
「よぉし、じゃ中入ろ!ね!」
「うん、あーご飯も冷めちゃったかな」
「ウチお風呂入りたい」
「のんよっちゃんと入りたい!」
「おっ、じゃーたまには一緒に入るか、三人で」
「「入るー!」」
「あ、私も私も!」
「げっ、梨華ちゃんはいーよ。風呂沸かしといて」
「えぇーいいじゃない」
「やだよ…」
「何恥ずかしがっとんねん」
「えっとぉ、あいぼん、よっちゃんは身体の一部にコンプレックスがあって…」
「お前は余計なことゆーな」
「え、なにぃ?私も入っていいでしょ?」
「いやだめ…」
「皆で入ったらええやん」
「それはそれでええやん」



小さな浴場ほどある湯船にお湯が溜まるまでの間、三人は線香花火をした。
一人五本。一番負けた人が風呂掃除。
勝負のはずが、言い出した亜依も賛同した三人も、そんなことなどすっかり忘れて夏の楽しみに耽っていた。



「ひとみちゃん、背中流してあげよっか」
「ちょ、梨華ちゃん、こっち来んな」
「よっちゃん隠すほど無いよ」
「ののも人の事言えんで」



そうして遅くなった食卓には、
二人が買ってきた、新しいお揃いの茶碗が並んだ。







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