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「話そう」と言ってもらえたのに、なかなか時間が合わず私は苛々していた。
ひとみちゃんは少し前に始めたアルバイトが忙しそうで、私は急遽家族旅行へ行くことになったり。
あんなこと言われたら、一日でも早く会いたいのに。
でも、避暑地の涼しい空気で頭を冷やすには丁度いいかもしれないと思った。
帰ってからも時間が合わないのは、今の私達には良い充電期間なんだと思って諦めた。


そうして夏の気怠い暑さが続く中、まだ日も昇って数時間と経たない朝に母に起こされた。
もう、なんなの。眠い頭で数秒考えてから、そう言えば今日は母の従姉妹の一家が訪ねて来る日だったと思い立つ。
私は慌てて人前に出られる程度に身だしなみを整えてから、食卓につき絵梨香も来るのか尋ねた。
「来るよ」と母は言った。予想外の答え。
絵梨香が来るなら、部屋にも入るかもしれない。
片付けようと思って急いで朝食を済ませる。

私は、はとこの絵梨香が苦手だ。
小さな頃はよく遊んだけど、それなりに成長して何となく相性の悪さを感じ合うようになってからは、滅多に会わなくなっていた。
おばさん達は年に一、二度程遊びに来るけれど、絵梨香とはもう三年は会っていない。
今日は何の予定も無かったけれど、何か用事を作って出掛けようかとも思った。


「梨華ちゃん、久しぶり」
三年振りに会う絵梨香は、当たり前だけど大人っぽくなっていて。
それでも、私が苦手とする、私と通づるようなあの、鬱めいた暗さを変わらず纏っていた。

「久しぶり。元気だった?」
「うん、梨華ちゃんは…」
元気だよ、と私は絵梨香の肩をぽんと叩いた。あぁ、懐かしい。
さっきまではあんなに気が重かったのに、いざ会ってみればどうってこと無いわ。
私は久し振りに絵梨香と話がしたくなった。
おばさん達に軽く挨拶をして、絵梨香に部屋に来るか尋ねた。
うん、と絵梨香は嬉しそうに頷いた。

「今日はどうしたの?」
部屋に入り、久々に来る気になった理由を尋ねる。
どうせまた突拍子も無いことを言い出すんだろうと思えばその予感は見事的中した。
何だか今度はテニスのウェアを集めているんだって。
子供の頃にも、確か『解体クラブ』なんてものを作って自転車なんか解体して遊んでた、
絵梨香は相当な変わり者だった。

「古いのでいいからさー。梨華ちゃん中学もテニス部だったよね?」
うん、と返事をしながら、そう言えば絵梨香はどこの中学に行ってたんだっけ、と思い出そうと頭を巡らせた。
あれ、そう言えばひとみちゃんと絵梨香の家って、そう遠くなかった気がする。
最寄り駅こそ違うから思い出さなかったけど、そう言えば近い。同じ市内だ。
同じ学区内ってこともあり得る。
ひとみちゃんて何中だったっけ。
やばい、忘れてる。
そう言えば美貴ちゃんも、ううん美貴ちゃんはいいけど、もしかして、もしかしたら、

「…絵梨香」
「なに?」
「絵梨香って中学、何部だったっけ?」
「バレー部」
「後輩に、吉澤ひとみちゃんて居なかった?」

「…いた、けど、」
絵梨香の低めの声が少しだけ上ずって、視線は不自然に一瞬、宙を舞った。

「梨華ちゃん、何で知ってんの?」
何で、って、何で動揺してるのか、聞きたいのはこっちよ。

「…同じ高校で、仲良いんだ」
「ふーん…私も、良かったよ」
良かった、過去形。

「絵梨香。今はね」

今は、私のものなの。
なんて言いそうになる。
どうかしてる。
どんな関係かなんてわからないじゃない。何焦ってるんだろう。
ひとみちゃんのことになると…、何ていうか、見境無いわ、私。

「…今は、1つ下なのに大人っぽくて」
「あーわかる」
「やっぱり昔からそう?」
「うん、人気あったよー」
苦笑いしながら絵梨香は、ひとみちゃんのことを話してくれた。
どこか気まずそうに、けれど、ひとみちゃんのことを好きだというのは伝わった。
どれくらい好きだったかは、はぐらかされてるような話し方。
仲違いでもしたのかなと、探りたくなる。でも知りたくはないの。
ああ、こういう感じなんだ。私と中澤さんの、ひとみちゃんにとっての。



酷い暑さも少しだけ和らいだ午後に、また来るねと言って絵梨香は帰っていった。
本音が7割、社交辞令が3割ってところかな。どっちに転んでも私は、あまりいい気はしないんだろう。
会えばひとみちゃんのことで嫉妬してしまいそうだし、会えなくてもそれはそれできっと淋しいんだ。

ひとみちゃんに会いたい。
何だかどうしても、ひとみちゃんに会いたくなった。
絵梨香に嫉妬しての自分勝手な欲望。そう、いつだって私は自分勝手なんだ。
ひとみちゃんの気持ちを考えてあげられたことなんて、ちっとも無いの。

ふいに涙が出そうになって、上を向く。
馬鹿みたい。
でも、自分を責める事なんて自分へのポーズでしかないから。
意味の無い事はやめて素直になろう。
ひとみちゃんに会いに行きたい。
バイトの後でも少しくらいなら、時間を取ってくれるって言ってたし。


電話をして約束をして、私は夜を待った。
会いたいと言う私の言葉に、ひとみちゃんはほんの少しだけ焦ったような反応を返した。
気のせいかもしれないけど、少しだけ。
もしかしたら、物凄く迷惑だったかもしれない。
ひとみちゃんは会いたくないかもしれない。
もう話す気なんて無いのかも。
そんなことばかり考えながら時間を過ごした。



待ち合わせたのは、夜の学校。
既に閉められた門の前でひとみちゃんを待つ。
纏わり付く湿気が、熱帯夜の空気を一層不快に感じさせる。
早く来て。何故だか妙に気が逸る。
鳴らない携帯電話を握り締めながら、夜空を仰いで深呼吸した。

…苦しい。
湿気と、熱と、細い喉と。
ひとみちゃんに会いたい。

会いたくて会いたくて、気が狂いそうなくらい。
何故だか身動きが出来なくなって、金縛りにあったみたいに上を向き続けた。

「なーにやってんの」

朦朧としていた意識が一気に引き戻されて、私は声の主を振り返った。
「星が綺麗だね」
そう言ってひとみちゃんは、満天の星を仰ぐ。
そんなの見てもいなかったなんて言えないから、私ももう一度上を見た。
苦しさで気付いてなかったけど、それは彼女の言葉通りとても綺麗で、私は思わず息を飲んだ。
さっきまで淀んでいた空気が一気に爽快に、生まれ変わったような感覚。
久し振りに会う愛しい人。背が高い彼女には、私より少しだけ、本当に少しだけ、
あの輝きが近くに見えているんだ。
何だか悔しいじゃない。
私は小さな足で背伸びして、ひとみちゃんと肩を並べた。

「バイトお疲れ様」
「ありがと。待った?」
背伸びをやめて彼女を振り返ると、変わらない優しい笑顔。
「ううん、暑いね」
「暑いけど手繋いでいい?」
いいよ、とも言ってないのに、ひとみちゃんは私の手を取って強く握った。
それがとても突然で、私は何も言えずにうろたえるように彼女の顔と手元とを見た。

「…冷えてんじゃん」
「うそ。暑いのに」
「暑いのにね」
握られた手を優しく撫でられる。両手で包み込むように。
下を向いたひとみちゃんの表情は、よく見えない。
月の明かりが彼女を照らして、髪も頬も長い睫毛も、消えてしまいそうに透き通って儚い。


「中、入ってみよっか」
ひとみちゃんは弾けるようにそう言って笑うと、私の手を引いて駆け出した。

「ちょ、ちょっとぉ、平気なの?誰か先生とか居たら…」
「へーきだって別に大騒ぎするわけでもないし」
「…好きなんだから、そういうの」

相変わらずの強引さで、強く私を急かす。
あまり気が乗らないまま東門まで連れられ走った。
それは理科棟の裏にあるひっそりとした小さな門で、
鉄製の門扉に手を掛けるとひとみちゃんはひらりと跳び上がり、あっさり乗り超えてしまう。
普段は大人みたいに振る舞うくせに、こういう時は酷く無邪気で子供のよう。
早くー、なんて言ってぴょんぴょん跳ねるひとみちゃんをよそに、私はゆっくりとその門を乗り越えた。
学校に忍び込むのなんて初めてだ。

「夜の学校って何かエロくね?」
ひとみちゃんがニヤニヤしながら私を見る。ほんとに子供みたい。
なんて、私もちょっと思わなかったわけじゃないから、余計に恥ずかしくて真っ赤になってしまった。
あぁ、くだらない…。
そんな私に気付かずひとみちゃんはさっさと先へ行ってしまう。
私もそのまま歩いて彼女の後を追った。


私達は口数も少なく、月明かりだけの校内を当ても無しに歩き回った。

「あれが梨華ちゃんと、ミキティのクラスでしょー」
そうやってひとみちゃんは時々、誰も居ない教室の窓を指して何か言った。
私は返事をしたり頷いたり、彼女を見つめたり。
「ひとみちゃんの教室は?」
「あっちかな。違うわ、あれだあれ」
私は彼女が指す先の窓を見る。
あそこに毎日、ひとみちゃんと、真希ちゃんと…先生、が。
昼間だったら見覚えがあったかもしれないけど、暗くて全然わからない。感覚が狂ってる。
それでも夜中にしてはばかに明るくて、おかしいなと思うくらい。
これだけ明るかったら満月の夜にはもっと、
なんてぼんやりと考えながら、少し先を歩くひとみちゃんの後を黙って追う。

前を歩く彼女から流れる匂いが鼻を擽る。
無意識に押し寄せる安堵と、じわじわと湧き上がるように襲う不安とが、甘い香りで私を支配する。
眩暈でも起こしそうなほどに。
そんな葛藤で混乱している私を、ひとみちゃんが突然に振り返った。
立ち止まって身体ごと私に向き合い、

「あのさぁ」

低く響くひとみちゃんの声。
別に男の人みたいに低いわけじゃないけど、
少しだけハスキーで、
何だか心地良くセクシーに響く。
この声が好き。

「あたしめんどくさいことが凄く嫌いで」
「ふふ、知ってる」
ひとみちゃんはふわりと笑って、くすぐったそうに髪をかき上げる。
薄い唇が小さく息を吐く。
月明かりに透き通る姿が、発光して見えて何だか不思議。

「梨華ちゃんとか超めんどくさいじゃん」
「ちょ、なによぉ」
「でも好きなんだよね」
「…ん…」
何だかとても恥ずかしくて、真っ直ぐに見つめる彼女の瞳を見つめ返すことが出来なくて、
視線を逸らせばいつの間にかそこは、私達が出会ったテニスコートの前だった。
ひとみちゃんが分かっていてここで立ち止まったのか、それとも唯の偶然なのかとか、
どうでもいいくらい何も考える余裕が無い。
好きと言われた嬉しさや切なさや後ろめたさが、私の指一本すら動く事を許さない。

ひとみちゃんはいつもなら黙っていると必ず怒るのに、今日はとても優しい顔で私を見つめる。
その表情に息が苦しくなる。
我慢出来ずに、涙はぱらぱらと足元へ落ちていく。

「泣くなよ~」
ひとみちゃんは少しだけ困ったような顔で、それでも笑顔で、私の腕を取って引き寄せた。

噎せるような甘い香り。
刺激で脳がおかしくなりそう。


「何かさ」
息を吐くみたいに囁く癖が好き。
自分勝手に抱き寄せるのに、優しく触れる手が好き。
「ちゃんとしなきゃって思うとすげーめんどくせーから、ずっと逃げてた。
 だってさちゃんとするの意味が分かんないじゃん。
 女同士で付き合うってのもよくわかんないし、中澤との関係もあたしは知らないし」

「…先生とは、…もう」
もう終わってる、とは言い切れなくて、その先は言えなかった。
別れてからも教員室へ行っていたのは私。拒めなかったのも、私。
だけど言わなかったところで、ひとみちゃんはだらしない私をもうきっと知ってる。

「忘れてよ。あたしの為に」
「…わかって、るんだけど」

「誘ったのはそっちなのにズルいじゃん。あたしが欲しかったんでしょ?
 手に入れてからビビってんなよ。貫き通してよ、堂々としてよ」


抱き締められてるから顔は見えないけど、言葉の最後が上ずって、泣いているんだと分かった。
私はずっとひとみちゃんに辛い思いをさせてたのに、気付かない振りしてた。
悩んでるのは私なんだって、捕まえてくれない彼女のせいなんて、そんな事考えてた。


ああ。心臓が千切れそう。


「…ひとみちゃん…」

夜が静かだからか、私の耳には何も聞こえなくて。
ひとみちゃんの呼吸以外何も聞こえない。
震える肩を抱き返すと、彼女はその身体を私に預ける。
柔らかい髪が私の頬を擽る。

何も聞こえないし涙で何も見えなくて、酷く不安定な筈なのに私の脚はしっかりと、二人ぶんの身体を支える。
ひとみちゃんの呼吸や体温や匂いが、直接脳に届きそうな程に私の五感を刺激する。
立ち昇るような甘い香りが、自分の発情の匂いじゃないかと思うくらい。
そこに在る身体が、どちらのものかも分からないくらいに。


それから私は彼女にたくさん好きと言って、そしてその後の事は…よく覚えていない。




◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 




新学期が始まって初めての放課後、私は理科棟へ向かった。
夏の名残はまだそこら中に漂っていて、少数の蝉がミンミンと騒ぎ立てる。
商業科棟と繋がる渡り廊下は日陰で、少し涼しい。
冬は確かとても寒くて、春には心地良い空気が流れる。
私は何度もここを通った。もちろん授業で、そしてそれ以外にも。

…「それ以外」でここを通るのは、きっと最後になる。
何度も揺れて折れてしまった気持ちも、今日はちっとも揺らがない。
私にはひとみちゃんがいるから。あの教員室へ行くのは、これが最後になる。


「こんにちは」
「…来たな」
相変わらずの鋭い目つきで先生が私を振り返った。
窓から少しだけ午後の陽が差し込んで、彼女の金髪が透ける。

「来たなって…何よ」
「先生には敬語使わんかい」
何を今さら、と言おうとして止めた。
確かにこれからは、私達はただの生徒と教師なんだ。
けじめをつけなくちゃいけない、きちんと。

ドアの前に立ったままだった私は、部屋の中心へ、先生の近くへ。2歩、3歩と歩み寄る。
鼻を衝く先生の香水。
先生は、ゆっくりと立ち上がって。そして、私に手を伸ばした。

「わざわざ来んでもええのに」
溜息を吐き、私の胸元のリボンを正す。
「あたしやってもう分かってるよ」
「そんな、諦めみたいなの嫌です。納得したいの。二人で」
「アンタほんまにめんどくさいわ」
「よく言われます」
ハッ、と皺を寄せて笑う。この顔が好きだった。

開け放たれた窓から、生徒達の笑い声が聞こえる。
人気の無いこの棟から離れた、どこか遠くから、微かに。

「先生」
「ん?」
「私…、」 すぅ、と思い切り息を吸っても、何だか苦しい。
私はこの人に対して今までこんなに、辛い思いをしたことが無かった気がする。
年上の先生に甘えてばかりで、どうしようもない恋人だったかも。
あんなに苦しくて切ない気持ちにさせられたのはひとみちゃんが初めてで、
それがつまりきっと、本気の恋なんだ。

「はよ言いや」
先生が、困ったように眉根を寄せて私を見る。口元は笑っている。
こんな時まで、甘えちゃいけないんだ。
私が、私の口から、ハッキリ言わなくちゃいけない。

「ひとみちゃんが好きなんです」
「おう」
「だから、先生とはもう会えません。ごめんなさい」
「…うん」

「先生のこと…好きでした」
「そういうのいらんねん!もーーー」
ぐしゃぐしゃと頭を掻いて先生が声を上げた。
その顔は笑顔だ。ひどく素敵な笑顔。
途端に目頭が熱くなって、
私、好きだった。この人のこととても。
でも、今はそれ以上に、ひとみちゃんのことが大好き。

言葉に詰まって立ち竦む私を先生は暫く黙って見つめ続け、
そしてまたふ、と笑った。つられて私も笑った。
先生が早く帰りなさいと言った。そうしますと、私は答えた。
それからいくつか言葉を交わして、私達は終わった。



何だか変な気分。嬉しいような、悲しいような。それでいてとても、幸せなような。
理科棟を出て大きく伸びをする。
顔を上げると、さっきは気付かなかった黒い雲が西の空を埋め尽くしている。
夕立が来るんだ、と他人事のように心中で呟き、
私は傘の心配もせずに早く帰ろうと思いながら教室へ向かった。
だって、ひとみちゃんが待ってるから。

教室に戻ると、どうやらクラスメイトは皆帰ってしまったか別の場所にでも溜まっているのか、数個のカバンが残されているだけで、
それとたったひとり、美貴ちゃんが行儀悪く椅子に座っていた。

「あれ、美貴ちゃん。ひとり?」
「うん、皆ジュース買いに行った」
ガタンガタン、と忙しなく椅子を揺らしながら携帯電話をいじっている。
やめなよそれと言うと、うっせーな、と返された。
なによ、もう。荷物を纏めて私が教室を出ようとすると、

「あ、ねえ!よっちゃん元気?」
「…元気だけど」

「今度美貴とも遊ぼうよって言っといて」
携帯から少し顔を逸らしただけの無表情でそう言う。
あぁ、もう。それが人に物を頼む態度なの?
なんていちいち苛立っている自分が面倒くさくなって、
私はわかった、と短く返事をして教室のドアに手を掛けた、
ところで、
ふと思い付いて美貴ちゃんに尋ねた。

「美貴ちゃん、絵梨香のこと知ってる?」

「は、誰」
「三好絵梨香」
美貴ちゃんは、一瞬だけ眉を顰めて、すぐに思い出したようにああ、と呟いた。
同小だったよーと、相変わらず興味無さそうに携帯電話を見たまま返事をする。
やっぱり美貴ちゃんも知り合いだったんだ。世間は狭いって本当なのね。

「で?」
返事だけ聞いて黙ったままの私に、美貴ちゃんが顔を上げて問い掛ける。
「梨華ちゃんは何で知ってんの?」
「はとこなの。夏休みに久しぶりに会って」
ふうん、と美貴ちゃんはまた視線を携帯電話に向ける。
「元気だった?」と無愛想に聞くから、元気だったと答えると、
また少しも興味無い素振りでふぅんと呟く。

「今度みんなで遊ぼっか」
「えー?いいよ、美貴と絵梨香だけで」
「ちょっ…、…いいけどぉ」

あはは、と美貴ちゃんが笑った。カワイイ。
私も少し笑って、そしてバイバイと言った。

「よっちゃんと仲良くねー」
教室を出る瞬間に後ろからそう聞こえて、私は足を止めず首だけ振り返って、
ドアで見えなくなった美貴ちゃんに聞こえるように答えた。
「言われなくても!」


美貴ちゃんと話してる間に雨は降り出していたようで、
廊下を急ぐ私の耳に木々やアスファルトの打たれる音が聞こえる。
これじゃ暫く帰れそうにないかも。それでも待たせている人が居るから早足で昇降口へと急ぐ。
その角を曲がればひとみちゃんが待ってる筈。
待たせてたら、…少し怒ってるかもしれない。

「遅いよー」

雨を背にわりと機嫌の良さそうな笑顔でひとみちゃんは迎えてくれた。
ごめんね、と短く謝って隣に立つ。
ひとみちゃんの足元はまだ上履きのままで、
その先に通学用の革靴が綺麗に並べられている。
私も手に持って来た靴を横に並べた。

ひとみちゃんの手元には丁度良い大きさの傘。
彼女の身長に合った、大き過ぎず、小さ過ぎないシンプルな傘。
私なんて傘も持っていないのに。
どんどんと激しくなっていく雨を眺めながら、どちらからともなく溜息が零れる。

「…通り雨かな」
「蒸し暑いね」
そういえば、前にもこんな雨の日にここで待ち合わせたことがあった。
あのときの私達は、どんな感じだったっけ。確かまだ出会ったばかりの頃で、
一緒に帰ることになって私は凄くドキドキしてて…。

ざあざあと雨ばかりが声を上げて、ひとみちゃんは少しも口を開かない。
私もまたそうで、それでも気まずくはないこの沈黙が心地良い。
纏わりつくような湿気も不思議と不快ではなく、
ときどき二人のブラウスが思わせぶりに擦れ合った。

「…止みそうにないし帰ろっか」
長い沈黙のあと、ひとみちゃんが口を開いた。
私が傘を持っていないことを告げると、平気平気と言って笑い、
その丁度良い大きさの傘を掲げて回して見せた。
「相合傘ってのもいいじゃん」
そう言って強引に私の肩を掴むと、
足元の靴を履き替え適当な下駄箱に上履きを放り込んだ。

「ま…待ってよ」 「早く。今日映画観るっつってたじゃん」
そうだっけ、と私が言うとひとみちゃんはむっとした表情。
ごめんね、と今日二回目の謝罪をする。
私の目的は常にひとみちゃんと過ごすことであって、
何をするとかそういうのはあまり覚えてなかったりする。

不機嫌な顔をやめたひとみちゃんは、
真っ直ぐにこっちを見つめて、靴を履き替える私を待っている。
そう真っ直ぐに見つめられては何だか緊張して、
下駄箱に入れようとした上履きを落としてしまった。
「あは」
少しだけひとみちゃんが笑った。
それでも視線は外されなくて、私の緊張は解れない。
顔が熱くなってるような気がするけれど、
何でもない表情をつくって傘を持つひとみちゃんの手を取った。

「…濡れるの嫌?」

柔らかい笑みで私にそう聞く。
嫌だけど、別にいい。面倒だけど、あなたとなら構わない。
そんな事を言うのはさすがに少し恥ずかしいから、
私は笑顔だけ返して彼女の背中を押した。



「…ねえ」
「なに」
「好きだよ」
「…あぁ、…そう」
「そう、って何よ」
「他になに言えって」
「あるでしょ、言うこと」
「無いね」
「あるじゃない」
「無いよ」
「…もういい」
「うそうそ」



ざあざあ、ざあ。少しだけ弱まってきた雨の音に混じって、微かにひとみちゃんの声が聞こえた。
「…好きだよ」

今度こそ、この雨が止むといい。そして二人手を繋いで、どこまでも行けたらいいね。





◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 





蒸し暑い夏の名残もあっという間にどこかへ行ってしまって、
それからすぐに肌寒い秋が来て、厳しい冬も過ぎ去っていった。

「春だねえー」
「ほんと、気持ちいいね」
私とひとみちゃんは相変わらずで、一年ぐらい前と少しも変わっていないような感じで、穏やかに過ごしている。
桜の咲き乱れる校内を二人で歩きながら、肩が触れるか触れないかというくらいの距離で。

ふわりと風が吹くと、桜の香りが鼻を擽る。
咲き誇った花弁たちが春風にのって儚く散ってゆく。
いい季節だと思う、本当に。
舞い落ちる花びらを見つめながら、
私は少しだけ出会った頃のことなんかを思い出していた。

「あ」
ゆっくりと続く歩みを止めて、ひとみちゃんが辺りを見回した。
「そういえば、ここで初めて会ったんだよねうちら」
恥ずかしいのか私には目も合わせず、少し遠くを見つめて静かに言う。
一歩二歩、後ろに下がって目の前を指差す。

「確かあたしが、この辺…に居て、梨華ちゃんが…」
頼りなげに揺れるひとみちゃんの指先の方へ私も歩く。
覚えてる、確かこれくらいの距離で。
ゆっくりとゆっくりと、記憶を手繰るようにあの頃の私の元へ。

温かい空気。振り向けば愛しい人。
少し強めの風が吹いて、降りしきる程の花弁が彼女の姿を霞ませるようにでも際立たせるように。

心が、真っ白になる。


「あのさあ」
「なにぃ?」
「あたし、またバレーやろうかなと思って」
ひとみちゃんは、春の風が気持ち良さそうに大きく伸びをして、柔らかい声を私に届けた。
「…ほんとに?」
「もう2年だし今更だけど、大会とか出れないけど」
「うん」
「もっかいやってみるわー」
ぐっ、と大きく背を反らせて、サーブを打つ真似をする。はにかんで笑う。
つられて私も笑顔になるから、ひとみちゃんがまた笑う。
初めて会ったこの距離も、気持ち良いけどやっぱり少しもどかしくて。
私の足は自然と彼女の方へ、きっと彼女の足も私の方へ、少しづつ距離が縮まっていく。
数メートル、数十センチ、少しづつ、少しづつ。

暑くもないのに、眩暈がする。それはきっとひとみちゃんがとても綺麗だから。


──そして私達は、また恋をした。








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