×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。







「またね」なんて、我ながらよく言えたもんだと思う。
あたしは悩んでいた。先輩──梨華ちゃんに、会いたくても手段が無い。
相変わらず校内で顔を合わせることは滅多に無いし、外で会おうと思ったところで連絡先すら知らない。
携帯の番号くらいミキティに聞けばどうとでもなる事かもしれないけれど、そうしないのは何故なのか。
彼女に近づきたいという本能と、あまり関わりたくないという意思で複雑な心境だった。

そうやってもやもやした時は部活に行く、というのがいつの間にか習慣になっている。
時々ごっちんも付いて来る。
まあ部活と言っても、ほとんど雑談の時間だ。高校の文化系の部活動なんてそんなものだろう。

保田とは大分喋れるようになったと思うのに、あたしは「なかなか心を開いてくれない」らしい。
確かにあたしは誰に対してもそういった所があるのかもしれない。根が暗いというか。
さすがに心を開ける親友の一人くらいは居るが、それ以外の人間には家族ですら、
自分自身の話をするのは抵抗がある。ごっちんだって例外じゃない。
そうやって生きていたいわけではないけど、そうやってしか生きていけないんだろうか。
つくづく不器用なんだと思う。

不器用なのは保田もそうみたいで、だから無視出来ないのかもしれない。
あたしが部室に来て一人静かにアルバムを見ていたりなんかすると、
保田はさり気なく寄ってきて、どうしたのとか、何か悩んでるのとか小うるさく話し掛けてくる。
うざったくてしょうがないけど、それが月並みの好奇心だったりお節介だったりとかいうのではなくて、
あたしに好意を持って真剣に聞いているんだから笑える。
保田にそうされると何故か邪険には出来なくて、あたしは段々と口を滑らせてしまうようになっていた。


「またソレ見てるの?」
保田の言葉に、手元のアルバムを閉じて顔を上げる。

「…石川のでしょ、いつも見てる写真」
保田はあたしの顔色を窺うように、しかし遠慮なくそう言ってのけた。
不覚にも動揺して、あたしは持っていたアルバムを床に落としてしまった。
一瞬だけ他の部員の視線が集まる。
閉じる時に見ていたページを指で挟んでいた為それは簡単に床の上でお披露目されてしまった。
足元に先輩の写真と、きっと赤くなっているあたしの顔。
ああ、今だけ第三者になりたい。そうしたらこの状況を笑い飛ばせるのに。

「そんなに気に入った?」
アルバムを拾い上げて、保田は邪気無く笑いながら言った。
あたしはそれを無言で頷き受け取ると、今度は遠慮無く先輩の写真を眺めることにした。
彼女への気持ちなんて、どうせ保田はわかっていたんだろう。
わざわざ言いたくなかっただけで、隠していたわけじゃないし。
自分の写真を気に入られたのが嬉しいのか、それともあたしが素直に認めたのが嬉しいのか、
妙な笑顔の保田が視界に入る。

「それ、九十九里浜で撮ったんだけどさ」
つらつらと思い出すように語り始める保田。無言のまま耳を傾けた。
「で、石川と裕ちゃんと3人で行ったんだけど」

一瞬、自分の耳を疑った。
しかし語り続ける保田の口から「裕ちゃん」という名が何度も出てくることから、
あたしの耳は何も間違ったことは聞いていないようだ。

「裕ちゃん」とは、保田が使う中澤の呼び名だった。
二人が親しいというのは何度か聞いていた。保田が先輩を食事に連れたりするという話も聞いていた。
そして今初めて、3人が繋がった。

──どうして先輩は、中澤のことを、保田の友人なんて言ったりしたんだろう。

どうして。

答えを、出したくない。
そんなことは、知らなくていいことだ。逃げてるわけじゃない。知らなくていいことなんだ。
あたしは先輩に、何も望んではいないんだから。
その日はとても風が強かったとか、帰る途中に大雨になったとか、
保田がしたのはそんな小さな話だった。そんな話を、妙に言葉を選びながら。

心が沈んでいくのは、きっと梅雨の煩い雨と重たい空気のせいだ。
窓の外に目をやっても、光は無い。
雨の日は、テニス部は休みなんだろうか。先輩はもう家に帰ったんだろうか。
それとも、体育館かどこかで真面目に筋トレでもしているのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えながら、机の上にアルバムを置いた。
思ったより大きな音がして、顔を上げた保田と目が合った。

「…すいません」
小さく謝ると、保田が何か言いたげに口を開いてすぐに閉じた。

その後ろにふと現れた人物の姿に、泳がせた視線が止まる。
その人は華奢な手を仰いであたしに向かって笑った。

「ひとみちゃん!」
そう言って彼女は駆け寄るように部屋に入り、慌てて一度立ち止まり、失礼しますと誰に向けるでもなく挨拶をした。
その真面目で少し滑稽な姿に苦笑してしまう。
保田も笑いながら立ち上がり、どうしたのと彼女に訊ねた。
先輩は脇に抱えていた提出物を保田に渡すと、あたしの隣の席に腰を下ろす。

「…どうも」
笑いを堪えて挨拶をしたら、何だか素気無いものになってしまった。
けれど先輩は特に気にする様子も無く、笑顔で話し掛けてくる。

「部活、来てるんだね」

「写真撮ってるの?」

あたしは適当な返事を返しながら、相槌を打った。
会いたくて仕方がなかった人が目の前に居る。自然と顔が緩む。

保田は黙って提出物をチェックしていたが、暫くすると手元のそれと時計を交互に見て言った。
「今日は雨だし、吉澤は現像も無いんだし、二人共もう帰りな」
時計に目をやるとまだ4時半だったけれど、先輩ははいと返事をしてすぐに席を立った。
つられてあたしも立ち上がり、のろのろと帰り支度を始める。

もしかして、保田は気を使ってくれたんだろうか。
だったらあたしは先輩を誘わなくてはいけない。
待っていてくれているのか鞄を持って立ったままの彼女に声を掛ける。

「…あ、い、一緒に…帰らない?」

失敗だ。

不自然過ぎた。
落ち込みそうになったけれど、彼女はとても嬉しそうに笑ってくれた。

「うん、帰ろ」
差し出された彼女の手を掴む。その手を引かれて、二人で教室を出た。
後ろから保田の声がしたが、振り返る余裕は無かった。




雨はざあざあと、相変わらず煩く振り続ける。
「止まないかなぁ」
「止みそうにないね」
正門に近い昇降口で待ち合わせたが、さっきからそんな会話ばかりしている。
煩いだけでそんなに強くもない雨の中へ踏み出せずに。
こんなところでいつまでも突っ立っている所を保田に見られたら、きっと怒られてしまうだろう。
せっかく時間があるのに、どこかに行こうとも誘えず立ち往生して他愛もない話を続けるばかりだ。

でも、あたし達にはこれで十分だろう。
先を急ぎたくないし、そもそもその先なんて無い。
ただゆっくりと、話をするだけで。
時々その仕草にドキドキさせられて。


「もぉ、聞いてる?」
先輩はあたしの肩を小突いてふふっと笑う。

彼女の笑い方が好きだ。
小さな手が好きだ。
華奢な身体に見とれてしまう。

「先輩」
「なぁに?」

「…好きです」

とても素直に、気持ちが言葉になる。

先輩は恥ずかしそうな笑みを浮かべ暫く押し黙った後、呟くように言った。
「…この間は、名前で呼んでくれたのに」
「そうだっけ」
「そうだよ、忘れないよ」
拗ねたように唇を尖らせる。

可愛い彼女の名を呼んでやろうと耳元に唇を寄せると、華奢な肩が小さく震える。
名前を呼ぶだけなのに、あたしの唇も震える。
恥ずかしくなって、ふうっと一つ息を吐いて顔を戻した。

からかわれたと思ったのか先輩は、真っ赤になりながらまたあたしの肩を小突いた。
少し低いところにある彼女の睫毛が、震えるように瞬きを繰り返す。何て綺麗なんだろう。
零れそうになる溜息を呑んで、言葉にした。

「…梨華ちゃん」

ゆっくりと、彼女の瞳があたしを捉える。
視線が合うのを待たずに、あたしは弾かれたように雨の中へ飛び出した。
 
「あ、待ってよ」
慌てて後を追ってくる彼女を、振り切るように早足で歩く。

梨華ちゃん。
その名はまたあたしの中で大きくなって。

梨華ちゃん、梨華ちゃん、梨華ちゃん。

何だかくすぐったくなるその感覚に、更に足を速める。風を切って走りたいような気分だ。
けれど後ろを歩く彼女は、なかなかあたしに追い付いてくれない。

「待ってひとみちゃん、歩くの速いよ」
「脚長いんで」
「…そうだけどぉ。ね、お願い。もうちょっとゆっくり…」
まるで泣き出しそうな彼女の声は、あたしの加虐嗜好を刺激する。
わざと聞こえない振りをして歩き続けた。


赤信号で仕方なく足を止めると、ようやく彼女が追い付く。
「…もう、わざとでしょ」
「なにが?」
白々しい答えに、眉間に皺を寄せて睨まれた。
「…にやにやしてるもん」
彼女は怒ったようにそう呟くと、乱れた前髪を直しながら顔を逸らせた。
その様子が可愛くて、益々苛めてやりたくなったが素直に謝る。

「ごめんね。梨華ちゃん」
うん、と彼女が小さく頷くのを確認して、先程とは打って変わってゆっくりと歩き出す。
彼女はまたいつものように笑顔で話を始める。
その高い声を、かき消しそうな程の雨音。水溜りを蹴る乗用車の走行音。
梅雨は静かでとても煩い。
時々、傘から零れ落ちる水滴が目の前を掠めた。


あ、と突然思い出したように彼女が鞄を探り出した。
「番号、教えて?」
取り出した携帯を掲げて、嬉しそうに微笑む。
どうしようかな、とあたしが勿体つけるように答えると、心底不思議そうな表情でどうしてと聞き返してくる。
彼女を相手にするのは飽きない。

「めんどくさいから、あとでミキティに聞いてよ」
「え、でも」
「なに?」

「今日…電話しちゃだめ?」
首を傾げて上目遣いにそう言う彼女。
あたしは一気に体温が上がるのを感じた。
どうしてそうやって、ドキドキさせるんだろう。顔が火照るのを抑えられない。
見られないように顔を背けたけれど、彼女は面白そうに覗き込んでくる。

「ねえ、もしかして照れてる?」
「うるさいなぁ」
ぶっきらぼうにそう答えても、何だか彼女は満足そうだ。
暫く一人で笑ったあと、また早足になってしまったあたしを諫めて横に並ぶ。

「駅に着いたら、番号教えてね」
「…ん」
「今日、電話するね」
「…うん」
あたしは未だ熱の治まらない頬を軽く撫でた。横を歩く彼女は、とても嬉しそうに微笑んでいる。

この雨が止めばいいのに。この雨が止めば、傘を閉じて手を繋げるのに。






    戻る