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翌日のホームルームで席替えをした。
隣になった後藤さんは、変わった人だ。
授業初日にして教科書を全部忘れたなんて言うから、
あたしと後藤さんの机はその日一日中隙間無くくっついていた。
風に揺れる長い茶髪と、はっきりした横顔が綺麗な子だと思った。

後藤さんとはすぐに仲良くなって、ごっちん、よっすぃーと呼び合うようになり、
二週間も経つ頃にはいつも一緒にいるようになった。
他のクラスメイトともそれなりに親しくなり授業にも慣れて、
入学して約1ヶ月、あたしは高校生活を満喫していた。

ただ、まだ彼女には再会出来ない。

1年の昇降口はテニスコートに近くないし、
商業科でしかも他の学年の生徒とは、あまり校内では会わないみたいだし。
無理に会おうとする必要は無い。
彼女との出会いは、必然だから。再会の機は、きっと自然に訪れる。
あたしの緩やかな日々の出来事の中に、ちゃんと用意されている筈。



そう、ほら。

人気の無い、渡り廊下の向こう。
一人歩く凛とした彼女の姿に、日影の廊下で眩しいような錯覚を覚える。

ごく自然に目が合って、ごく自然に彼女は笑って立ち止まった。
「こんにちは。」
彼女の耳に衝く声が、日陰の湿った空気を震わせた。
「久しぶりだね」

挨拶以上の言葉を投げかけられて、あたしは突然のことにうまく反応できない。
こんな状況を予想していたのに、いざ彼女を間近で目にしただけで
やっぱり上手く思考が回らないみたいだ。
「テニスボール、取ってくれたよね。忘れちゃった?」
あまりにも無反応のあたしを見て、彼女はやや自嘲気味に笑いながらそう言った。
「あ、いや、まさか!覚えてたんだと思って…。ちょっとビビッて」
あたしが慌てて反論すると、よかったぁと嬉しそうに笑う。

二人の距離は初めて会ったときの半分くらいで、
こうして見ると、この人、わりと小さいんだなと思った。
華奢な体型のせいかもしれない。
少しだけ下にある目もとから感じる視線に、頬が紅潮していくのがわかった。
対照的に余裕な笑みの彼女に、落ち着いた声色で
1年生なのに大人っぽいよね、と言われ益々恥ずかしくなる。
確かに普段はよくそう言われるけれど、今はきっと小学生以下の落ち着きの無さだろうなと思う。

「美貴ちゃんが知り合いだっていうから、びっくりしちゃった」
「あ…あたしも。ミキティに聞きました、…先輩のこと」
彼女も、知っていたんだあたしの存在を。
あれからミキティには2度程会ったけど、何も言ってはこなかった。
きっとその内会えると、自分も同じ事を考えていたのに
何だか焦らされたような気になって。
あたしは少し物欲しそうな顔をしたかもしれない。
彼女がとても自然に距離を詰めるから、いつのまにかすぐ傍に彼女の顔があった。

「ね、また…会えたね」
やたらと意味ありげな視線で、見上げながら囁くように言われた。
どうしよう、熱い。何て言ったらいいんだろう。

「学校、楽しい?」
「…はい。」
彼女の視線や仕草ばかりが気になって、ぎこちない会話が続いた。
あたしが言葉に詰まっても、彼女は優しく声を掛けてくれる。
このまま時間が止まればいいと本気で思った。
遠く見えるグラウンドにまばらな人影と、青紫の空を翔る鳥達。
彼女と交わす言葉の一つ一つが、空気に溶けていくような感じ。

「ひとみちゃん」
彼女はあたしをそう呼んだ。
そんなくすぐったい呼び名は小学校以来だ。あたしは恥ずかしくて、視線を逸らす。
先輩、と呼ぶと彼女は名前でいいのよと言った。
「だって、先輩だし」
「ふふ、まじめだね」
先輩は笑いながら首を傾げた。
露になった首元に、少しだけ襟に隠れた紅い痕を見たような気がした。

途端に、消えて無くなりたい衝動に駆られる。

「あ、あの…呼ばれてるんで、先生に」
「あ、そうだったね。ごめんね?」
「いえ…、じゃ」
あたしは急いでその場を後にした。
背後から彼女の、またねと言った声がした。

教員室に向かって全力で走る。喉がひゅーひゅーと音をたてる。
余計なことは何も考えたくない。
先輩はまたねと言った。
あたしはそれだけでまた先輩に会える日まで生きていくことが出来る。
それだけでいい。いい筈だ。
不自然に会話を絶って、気を悪くさせたかもしれない。
次に会った時は、ゆっくり話そう。名前を呼んだら喜ぶかもしれない。




理科教員室の戸を開けると、3つ机の並んだ狭い部屋に、中澤が一人で居た。
「早かったなぁ」
「え?あ、走って来たんで」
理由をそのまま答えると中澤は、なんでやねんと少しだけ笑い、
足速いなぁと言って窓の外を指した。
「さっき、そこんとこで石川と話してるの見えたで」

見られていた。
先輩との時間を見られていた。
学校内である以上そんな事は承知していたけど、何となく悔しくなった。
中澤が先輩を知っていた事にかもしれない。
会話の中で先輩は、担任が中澤だと言うとああ、と知っている素振りを見せた。
生徒が教師を知っているのは、当たり前だと思ったけど。
窓の外をちらりと確認する。二階のこの部屋から、さっきの一階の廊下まではかなりある。
中澤はこの距離で先輩を認識出来たのか。
いや、あたしのこともわかったのなら目が良いだけかもしれない。 
なにを過敏になっているんだろう。

中澤は何か言い難そうに、書類を捲りながら会話のタイミングを計っているようだ。
別に互いに嫌い合ってるというわけでもないのだけど、
相性の問題なんだろうか中澤とは何故か話が進まない。
教室ではあたしに話しかけられないから、勢いでこんな所まで呼び出しておいて、
それできっと大した用事じゃないに決まっている。

「吉澤、バレー部入らんの?」
中澤から口を開いた。ああ、その事か。やっぱり大した話じゃなかった。
あたしは即答する。
「入る気は無いです」
「何でやろなぁ。中学でも途中で辞めてしまったんやって?」
中学のバレー部は、弱かった。チームワークが最悪だった。
あたしは期待されていたようだけど、
技術も無い癖に年上というだけで威張り腐る連中にうんざりして、2年で退部した。
スポーツは好きだけど向いていないのかなと思う。
こんな話は中学の顧問や担任とももう何度も話をしているから今更説明する気すら無いし、
そんな事よりあたしはまだ先輩の事が気になっていた。

そもそも彼女は、何故あんな所にいたんだろう。
あそこは理科棟と普通科棟と商業科棟を結ぶ渡り廊下で、
先輩は理科棟の方から歩いて来た。
放課後の理科棟に用事なんて、この教員室に来る事位しか無いだろう。
通って来た教室にも廊下にも人一人見当たらなかったし。
先輩は、中澤に会いに来てたんだろうか。
2年の授業は受け持っていない中澤に、どうして?
用も無く会う程の間柄なんだろうか。

いやたとえそうだとしても、だから何だと。
二人が親密な関係だとして、あたしは一体何を気にしてるんだろう。
まさか首の痕に中澤が関わってる筈も無いし。
余計な事は考えたくないのに、どうしてこうも色々な感情が生まれてしまうんだろう。

「バレー部の顧問がね、軽い気持ちでいいから入ってみんかなー言うてたのよ」
中澤はまだあたしの興味の無い話をしている。
さっさと部屋を出たくて、軽い気持ちでなんてできませんと、強い口調で断った。
なんやハッキリしてるんや、と中澤は笑った。
「吉澤なあ、何てゆうかフワフワしてるから。
 しっかりしてるようで危なっかしいゆうんか、ちょっと心配してたんやけどね」

そんなこと、本当に思ってるんだろうか。
失礼な話だけど、そう思ってしまった。
中澤は良い人だ。あたしはもともと教師というものが好きじゃないけど、中澤は別だ。
怖いけど偉ぶらず、生徒想いのよく出来た教師だと思う。
きっと本当に皆のことを心配している。
それでもあたし達の間にだけは、
何か埋められない壁のようなものがあるんじゃないだろうか。
確かに、嫌い合ってはいないのだけど、ただの相性の問題だと思いたいのだけど。

「まあ、いーわ。そしたら、入らんでもええからちょっと遊び行くつもりで顔出したって。
 ほらうちまだ新しいからね、大会とか登録してへんのよ。
 だからほんまに遊び場ってゆうかね」
「……」
「…あたしもね、無理にはやらせたくないし、好きにしたらええわ。
 もーいーで」

ひらひらと手を仰ぐ中澤に一礼して、あたしは部屋を出た。
部活のことを思い出させられて、少しだけイライラしていた。
けれどそれはすぐに、先輩の笑顔でかき消される。
またね。その言葉を反芻する。
またね。また、会える。






◇  ◇  ◇  ◇  ◇ 





「昨日さ、何だったの?」
翌日、中澤の呼び出しの用件についてごっちんに聞かれ、
あたしは単語を二つ三つくっつけただけの説明で返事をした。
ふぅん、と素っ気無い相槌が返ってくる。
こういう時、深く聞かないのが彼女に救われるところだ。
ごっちんは簡単に言ってしまえば無口な子で、
あまり人に深入りされたくないあたしには合っているんだと思う。
 
「…そーいや、部活と言えばさあ、
 圭ちゃんに写真部入んないかって言われてさー」

「圭ちゃん?」
「あ、先生なんだけど。保田先生」
言い直されても特に聞き覚えの無い名前なのだけど。
どうやら店の常連らしい。
店というのは、ごっちんの家が学校のすぐ近くの居酒屋で、
ここの教師がよく飲みに来るそうだ。
中澤にも入学前から会っていたという話は聞いていた。

「全然部員いないらしくて、このままじゃ存続の危機だーとかいって。
 名前だけでいいからって言うんだけどさー」
めんどくさい、と言うようにごっちんは溜息を吐いた。

「圭ちゃんにはかわいがってもらってるんだよねえ」

「…そーなんだ」
あたしも、バレー部に限らず部活なんてやる気はなかったけど、
ごっちんに付き合うぐらいならいいかなと思った。
恩ある人には恩を返す主義だ。
一緒に入ろうかと聞くと、ごっちんはありがとーと眠そうに笑った。



移動教室の際に、ここ部室、とごっちんが小さな多目的教室を指した。
無用心にもドアは開いていて、無人の教室には微かな陽が差し込んでいた。

すぐ傍にあったトイレに入ったごっちんを待つ間、
あたしは暇を持て余し室内に足を踏み入れた。

数枚の写真が貼られたホワイトボードと、無造作に置かれた机。
小さな棚に数冊のアルバムとファイル。
室内のドアで繋がった隣の部屋は現像室のようだ。
確かに設備などを考えると、少人数での存続は認められないだろうと思った。

写真は嫌いじゃない。
3階の端に位置するこの部屋は、窓からの眺めも悪くない。
入ろうかな、と思った。誰もいない教室の空気にぼーっとしていると、後ろから声を掛けられた。

「何してるの?」
急に話し掛けられ、あたしは慌てて振り向いた。
振り返ると後ろに立っていた教師らしき女は、
何故か少しだけ驚いたように眉を上げ、笑顔で言った。

「もしかして、入部希望?」

「…いえ」
恐らくこの女が、保田圭なんだろう。
けれどあたしは、とっさにノーと言ってしまった。
目の前の人物に何かしらの恐怖を感じたからだ。
何だかギラギラした女だ、と思った。
猫か爬虫類のように大きく釣り上がった目。

女は、なんだ残念、と呟いて、あたしの身体を上から下まで、そして特に顔を、
舐め回すように見つめてくる。
「ねえ、写真部入らない?」
視姦でもされているような気分に背筋が凍り、
恐怖からまた咄嗟に入りません、と答えてしまった。
答えてからしまった、と思った。
ごっちんと約束をしたのに、断ってしまった。
幸か不幸か女は諦めず、写真興味無い?なんて勧誘してくる。
あまりハッキリと断ることも出来ず、適当な相槌で返していると、
女はふぅと一つ溜息を吐いて言った。

「あなた、すごく綺麗な顔してる。気に入っちゃった」
笑顔で言ってくれれば受け流せたのに、
ギョロリと音を立てて光りそうな鋭い視線に射られる。

「…勘弁して下さい」

キツめにそう言い捨て、あたしは教室から出ようと思った。
しかし入り口に女が立っているせいで出て行くタイミングが読めない。
拒絶の言葉にも女は不適な笑みを浮かべている。
あたしが足踏みしていると、戻ってきたごっちんがドアと女の隙間から顔を出した。
「あれ?圭ちゃんじゃん」

やっぱり。こいつが保田圭か。
ごっちんには悪いけど、入部はできるだけ避けよう。
入ることになっても、名前だけにしてもらおう。
お待たせ、とごっちんは中に入ってあたしの肩を叩いた。
保田圭はその様子を妙に興味深そうに見ている。

「なにやってんの?圭ちゃん暇なの?」
「ちょっと…暇なわけないでしょう。これでも担任持ってんのよ」
「そーだっけ。どこのクラス?」
「商業の2-A」

二人のやりとりを何となく聞きながら教室を見渡していたけれど、思わず振り返ってしまった。

商業科、2年A組。確か先輩のクラスだ。

そうか、こいつが担任…。
これも必然か、それともただの偶然か。
これで写真部には入らないわけにはいかなくなった。
しつこく勧誘を再開した保田圭に、ごっちんが入部するよと告げた。

「え?でも、この子さっき入りませんて…」
少し気まずくて視線を泳がせると、ごっちんは怪訝な表情をした。
「ごめん、気遣わせた?」
不安そうな問いに慌てて否定する。
入りたいよ、と言うとごっちんは安心したように笑って言った。
「たぶんー、圭ちゃんが怖かったんだよ」
「なによ、それ」
「いや~ははは…」
誤魔化そうと努めて明るく振舞ったが、あたしの口からは乾いた笑いしか漏れなかった。






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