「すみません、中澤さん」

そう言って吉澤は、はは、と力無く笑った。

「何やまた食べてへんの?」
「いや、食ってますって。大丈夫です」
「あんたなぁ…」
まともに飯を食っている人間なら、そんなやつれたような顔をしないだろう。
と叱ってやりたいところだが、私には彼女が手を引く小さな少女が目に衝いて、それ以上言及することが出来なかった。

蝉の声が煩い夏。



ほんの数時間前のこと、急に吉澤から連絡が入った。
暫く預かって欲しい子がいる、とだけ言って、それきり黙ってしまい、ただの一言も話さない。
私は苛立ちながらも、「ええよ」とそれだけ答えた。
あいつが連絡してくるのは余程困った時に限っているから。
引き受けるか、死ねと言うかのどちらかしか無いのだ。

十分もしないうちに、吉澤は小さな女の子を連れて私の部屋にやって来た。
小学校低学年ぐらいだろうか、一見すると男の子と間違えてしまいそうな、陽に焼けた元気そうな子だった。



「じゃぁ、ほんとありがとうございます。よろしくお願いします。
 千聖、いい子にしてられるね?」
千聖ちゃんは吉澤に向かってにっこりと笑うと、その屈託の無い笑みを私にも向けて大きく頷いた。
でへへ、と少しだらしない笑い方をする。
「戻ったら一杯行きましょう」
名残惜しそうに少女の頭を撫でながら、吉澤は私を見て言った。
薄い唇を引き締めるように笑む。吉澤の好きな所はこれだ。
いつもへらへらしているくせに、肝心な時に見せる意志の強さ。
今度は何をしに行くのか分からないが、小さなこの少女がよほど大事だとみた。

「よろじぐお願いじます」
ずっとにこにこと笑っていた千聖ちゃんが言葉を発すると、私は少し驚いてしまった。
「あはは、ちょっと千聖、変わった話し方するでしょう。
 でもそこが可愛いんです」
「そやね、カワええ。おいで千聖ちゃん、お姉さんと留守番しような」
私が手招きすると千聖ちゃんは、物怖じせずまっすぐに私の懐に飛び込んで来た。
「なんだ、さすがのこいつも中澤さんにはビビるかと思ったけど」
「怖いことあるか。なー、千聖ちゃん」
「うあー、目が青い!」
千聖ちゃんは私の目を指して嬉しそうに声を上げた。


「じゃーね、千聖」
「うん、おねえちゃんがんばれ」
ばいばーい、と、吉澤の車が見えなくなるまで、千聖ちゃんが手を振る。
小さな腕が千切れてしまうんじゃないかと少し心配になる。
「いっぢゃっだ…」
でへへ、と今度は少し淋しそうに俯いて笑った。


「千聖ちゃん、中入ろうか」
小さな後ろ姿に手を伸ばすが、何の反応も返ってこない。
暫く放っておこうか。
以前は私も、去ってゆく吉澤の姿を落ち着いて見てはいられなかった。
帰って来ないかもしれない。
毎回そんな心配をさせるのだから、ろくな人間ではないのだと自分に言い聞かせた。
それならば帰って来ない時には、そのろくでもない人間の骨を、身寄りの無い人間の骨を、喜んで拾ってやろう。
そう約束した。

けれどもどうやら、あいつにも大事な家族が出来たらしい。
どこの誰ちゃんだか、何を背負って吉澤なんかと暮らしているのかは分からないが、
あんな優しい笑顔は久しぶりに見た。
若い頃にもときどき見せた、愛しいものに向ける瞳。


微動だにしない千聖ちゃんを見詰める。
こんな小さな子置いて、やっぱりあいつはろくでもない奴や。
ふん、と鼻で笑ってやりたかったが、どうしたことだか息が苦しい。
目頭が熱くて堪らない。耳の奥がじんとする。
まだ、気付きたくない。
千聖ちゃんを預かるのは、吉澤が帰ってくるまでだ。
帰ってくるまでなのだ。


くるりと千聖ちゃんがこちらを向いた。
その顔は笑顔だ。
この子は強い。さすがあいつの家族や。
「へへへ、お腹空いだ」
「じゃぁお昼にしよか」
私は小さな小さな手を取って、眩しい空を仰いだ。
きっと、夏が来る度この日を思い出すんだろう。
蝉の声と、陽に焼けた千聖の肌と、夏のにおい。
対照的に、消えてしまいそうなあなた。


「あ、なぁ千聖ちゃん」
「なに?」

好き嫌いを、(とくに私が見るのも嫌なアレについて、)聞いておかなければいけない。
これから大事な家族になるのだから。










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