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眠そうだからもう帰る?って聞いたら、帰りたくないって憂佳は言った。
もう結構な時間だし、そういえば明日も早いし、そろそろ帰んなくちゃいけない気がするけど。
でもそんなこと言われたらもう行こうよとは言い難くて、とりあえずメニューを開いた。
これ以上食べたらやばいなとは思うけど、綺麗に片付けられたテーブルに長居するのも落ち着かないし。

夜の憂佳はやっぱり変で、さっきからやたらとテンションが上がったり下がったり忙しない。
別にいつものことだから慣れてるけど、でもホテルとかとは違って、
こう向き合ってるこの感じが、何か焦る。
まっすぐに見つめられると目を逸らしたくなる。ふわふわした声で耳の奥がむずむずする。
呑み込まれるのが嫌で何でもいいから思いついたことをひたすら喋ってみた。
憂佳は眠そうに相槌を打ったり妙なテンションで話に乗ってきたりやっぱり忙しない。
よくわかんないけど、帰りたくないって言うぐらいだから楽しいんだろうな。

手元に開いたままだったメニューに気付いて、何か食べようよって憂佳に渡す。
憂佳はまだ食べるのって笑いながらページを捲る。
わたしももう一つのメニューを手に取って開くけど、あれもこれも美味しそうで決まらない。
背もたれに肩を預けると、伸びた足先が憂佳にぶつかった。
「あ、ごめん」
「ん」
ぶつかった脚をそのまま憂佳の脚に撫でつける。
細くて羨ましいなとか思いながら、脛から足首のラインをなぞったり。
憂佳の脚が少し後ろに引けるけどわたしも膝を伸ばして追いかける。
何でもない顔して話しながら、テーブルの下ではそんなことを数センチ単位で繰り返す。

「…花音。やめて」
いよいよ脚の逃げ場が無くなると、憂佳が呆れた顔でわたしを見て言った。
そんな顔してるけど頬が赤くなってるもん。
「憂佳照れてる」
「照れてないし。やめてよ」
「やめなーい」
嫌じゃないくせに。そう思うのはわたしの勘違いじゃないはずで、
だって口元が緩んでるし。面白いからやめてあげない。
わたしの返事に憂佳はむっとした顔でメニューを睨むけど、
テーブルの下で繰り出されるわたしの攻撃にだんだん難しい顔は崩れていって、
終いには喉を鳴らして笑い出す。

「もー、やめてってば。くすぐったいんだよぉ」
「ほらほーら」
「かーのーんーちゃん、やめなさい」
真っ赤な顔した憂佳が机を叩いて訴える。仕方ないからやめてあげるけど、
わたしが脚を離すとほら、ちょっと残念そうな顔するでしょ。

まだ赤みの引かない憂佳の顔がおかしくてわたしが笑うと、憂佳も何だかぎこちない笑顔を返してくる。
真っ白な肌がピンク色に染まってて、憂佳にはピンクが似合うななんて思った。
「花音はいたずらばっかりだね」
「そんなことないでしょ」
「はいはい。何食べるか決めようね」
だって決まんないんだもん。ていうか今から何か頼んでもずいぶん遅くなっちゃいそうだけど、
憂佳のテンションが伝染したのかわたしもまだ帰りたくないって気分になってきた。
あんまり遅くなったらママに怒られそうだし明日も早いんだけど。
何だかんだ憂佳が楽しそうだから、もう少し付き合ってあげるか。

窓の外の夜はどんどん深まっていって、
耳をくすぐる憂佳の甘い声は何だか心地良く響く。
こんな珍しい夜もたまにはいいかもしれない。



「今日楽しかったね」
弾んだ声が地下鉄のホームに少し響いた。
ファミレスでだいぶだらだらと過ごしたあとはまっすぐ駅まで歩いてきて、
夜の地下鉄の少し冷えた空気の中帰りの電車を待つ。
楽しかったねって楽しそうに言う憂佳に、うんって答えようとしたら音が喉につかえた。
どうも喋りすぎて声が少し枯れたらしい。返事をしないわたしに隣の憂佳が顔を向けてくる。
楽しくなかった?って不満げに聞いてくるから、慌てて楽しかったよと返す。
出てきた声が思ったより枯れてて私も憂佳もびっくりする。
びっくりしたあと笑い合って、枯れてんじゃんよーって憂佳が言う。
あ、今の言い方ちょっと好き。

人気の無いホームは昼間も静かだけど夜はもっと静かで淋しい。
すぐに来ない電車を待つには少し寒すぎる気がして、薄着な腕を擦りながら憂佳に寄り添った。
「寒いの?」
「うん」
「花音は寒がりだもんね」
妙に優しいトーンで憂佳が言った。
優しいから、直にその温もりに触れたくて腕を取ろうとしたけど、
それはわたしの手をすり抜けて背中にまわされる。
腰の辺りに置かれた憂佳の手が、ぎゅっとわたしを引き寄せた。

…あったかーい。
密着した左半身から、じんわりと全身に熱が伝わってく。
すぐそばにある憂佳の顔を見上げると、マスクの上の目が柔らかく細まる。
笑ってるかたち。どきっとする。
何となく恥ずかしくて、憂佳の肩に顔を預けた。
寒い?って斜め上から声が降ってくる。わたしは俯いたまま小さく頭を振った。
自然と憂佳の肩にぐりぐりと押しつけるみたいになる。
ふへ、って、くすぐったいのか憂佳がへんな声をあげる。

「…花音?」
「なに?」
「今日さー楽しかったね」
「それさっきも言ってた」
「うん、…もう帰んなきゃだね」
また帰りたくないとか言うのかななんて、思いながら顔を上げた。
目線の先にはちょうど憂佳の口元で、薄い唇は微かに笑っていて、
何でマスク外してるんだろうとか思いながら、視線を上にずらす。
黒目がちな憂佳の瞳はびっくりするぐらいまっすぐにわたしを見つめてて、動けなくなる。

かのん。
視界の下の方の唇が動いて、名前を呼ばれた気がした。
身体も意識も憂佳に捕えられてて、うまく身動きがとれない。圧倒される。

「…することあるでしょ?まだ」
「え?」

「デートの最後にすること」

そう言って一度噛みしめるように動いた唇が静かに閉じた。
時間がものすごくゆっくり流れるみたいな感覚に陥って、
何だかだんだん憂佳の顔が近付いてきてる気がして──


ああ、と思った瞬間、ガタンガタン、とホームの背中側に電車が到着した。
憂佳の視線がそっちへ行って、わたしは金縛りから解けたみたいに全身が弛緩する。
あれ?とか言いながら憂佳が半身を捻ると腰にあった手が離れ、その隙に後ずさって身体を離す。
「ちょっと待って、あっちだよ」
「え?」
「憂佳たち乗るやつあっちだったみたい」
「え、うそ」
「あぶなーー」
乗ろ、と憂佳がわたしの手を取って引く。されるがままに引っ張られてホームの反対側へ走った。

ばたばたと転がり込むように乗り込んで、適当な座席に腰掛ける。
憂佳は間に合ったねとかなんとか至って普通に話し出すけど、
わたしはまだうまく思考が切り替わらなくて。


……なんで、キスされるなんて思ったんだろ。

思い出しながら恥ずかしくて頭に血が昇る。
でも、だって、そうだと思った。されるかと思ったもん。わかんないけど。
憂佳が変なこと言って、顔が近くなって、それで…
あぁ、落ち着けわたし、落ち着いて。
実際、してないし。そう自分に言い聞かせながら、
でもずっとどきどきしてその後はまったく憂佳の顔が見られなかった。







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